友人はお寺の和尚さん

令和元年皐月14日 毎日ARUYO通信第269回
友人はお寺の和尚さん
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金と銀に引き続き、賭博黙示録カイジを読了。
最後のEカード篇はゾクゾクするような緊張感とその解放。悶絶しました。
カイジ自体はその昔読んだことがあったのですが、最後まで読んでいませんでした。
金と銀の引き続き、この作者は心理描写が天才的だなと思います
Eカード、地下チンチロ、沼パチンコがカイジの御三家と聞きますので、早速、地下チンチロに突入しています笑

さて、そのEカード篇で兵藤会長が、さらにギャンブルを仕掛けようとする、カイジにこんなこと言っているシーンがあります。
「今は一種の興奮状態だから、そんなことを言っているだけ。普通の暮らしに戻れば、瞬く間に、普通の感覚に戻るんだよ。(だから、そんなことを言わなくなる)」
ハッとしました。
身に覚えがあるぞ。
これってよくあるやつじゃないかって。
例えば、月一の終日セミナーに出ると、色々な刺激をもらうから、「もっと頑張るぞ!」って思うけれども、2日後には、その時の気持ちが色あせて頑張りが甘くなっていく
とか
すごい頑張っている仲間の話を聞いて、刺激をもらって
「俺もやるぞ!」と思って、やるんだけど、3日坊主になる
とか
体質改善に成功した、友人の話を聞いて、「よし、糖質制限にトライする!」って宣言するんだけど、5日後くらいに、「5日頑張ったからご褒美だ」って言って、制限を解いてそのまま元の生活に逆戻り
とか…
非日常空間に身を置くと、ある種の興奮状態に突入し、気持ちが高まるんだけど、その空間から離れて日常生活に戻ると、その引力の強さによってその気持ちがどこかに行ってしまう。結局、元の木阿弥になっちゃう。ありませんか?
あの決意はどこに行ったんだ!?
ってやつです。
易きに流れるのが人ですから、普通はそうなってしまうんですよね。

ただ、ありがたいことにと言いますか、
最近、この気持ちのスイッチが切れにくくなっています。
というか、切れない状態にさせられてしまっています。
リアルな情報交換に加えて、FacebookやらWEBニュースやらで友人の素晴らしい活躍に接する頻度が高まっているからです。
ヨーロッパの会社に転職する、フォーブスの表紙になる、期待されているドラマをディレクターに抜擢された、大きなプロジェクトを任された、こんな仕事をやってメディアに取り上げられた
などなど…
こんな情報に触れていると、気持ちが切れようがないんですよね。
自分もやんなきゃいけないって鼓舞され続けるんです。
例えて言うと、
座禅をしていて、眠りに落ちそうになった時に、和尚さんにピシッと肩を叩かれて目を覚ますみたいな状況です
座禅はやったことないですけど笑

昨日、友人が、クモの絨毯みたいな、超強力なセーフティーネットだって書かせてもらいましたが、
こう考えると、
寺の和尚さんにも思えて行きました笑

とても有難いので、せめて、恩返しとして、
毎日更新している僕のブログも、友人がたまに読んでくれた時に、
「まぁ、中田も頑張ってるみたいだから、もうちょっとやってみるか!」みたいなエネルギーを与えられる。時に、和尚さんの役割を担えるように
毎日継続していきます。
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非日常空間で、強い決意をしたとしても、日常生活に戻ると、その引力の強さによって、その決意を忘れてしまうのが人ってもの。
だが、その気持ちを切れないようにしてくれるのが、友人だ。
あたかも、座禅の和尚さんのようだ。
そんな状況に感謝しつつ、自分自身が、誰かの和尚さんになれるように継続あるのみなのだ。

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