衆人環視の妙
令和元年皐月20日 毎日ARUYO通信第275回
衆人環視の妙
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昨日のブログで、大人になると新しいことにチャレンジすることが億劫になる、その理由は、そのチャレンジ過程のできない姿を人に見られるのがカッコ悪い、恥ずかしいと思ってしまうからではないか?
そんなことを書きました。
で、そもそも恥ずかしいって何なんでしょうか?
恥ずかしいっていうのは、
自分自身が人から見られたいと思う姿と、実際の自分の姿との間のマイナスのギャップのことを言うのではないでしょうか。(このギャップがなければ、恥ずかしいとそもそも思わない。まれに、プラスのギャップが大きすぎて恥ずかしいと思うことがあるかもしれませんが…)
仮にこういうことだとしましょう。
でも、そもそも人からこのように見られたいって言うけれども、世の中の人ってそんなに自分のことを見てくれているのでしょうか?
サザンオールスターズの桑田佳祐とか、綾瀬はるかとか、山崎賢人とかそのクラスになったら、見られまくっていると思いますけど、
我々のような一般の人のことなんて、おそらく誰も見てないんですよね。
例えば、実際、僕自身も、ある日突然、
「毎日ブログを書きます!」
って宣言して、毎日書き続けて来ましたが、確かに最初はめちゃ恥ずかしかったです。
一回目の投稿の時は、クリックする手がプルプル震えました笑
ですが、3日経ち、1週間が経ち、1ヶ月が経ち、気づいたら、【恥ずかしい】っていう気持ちはどこかに消えて行ってしまいました。
誰も見ていないってことに気づいたからです笑
自分が思ってるほど、周りの人って自分のことなんか注目していないんですよね、やっぱり。親と家族ぐらいでしょうか、強いて言えば。
ブログを275日毎日書いてきて、実際そんな気がするんですよね笑
例えば、この週末だって、
「今、ブログ書き始めて何号くらいでしたっけ。150位ですよね?」
って聞かれましたけど、
「いや、もう270を超えました!」
なんて答えました。
実際、こんなもんなんです。この方はかなり読んで下さっているんですが、それでもこんな感じなのです。
書いている方は、1時間かけて書いたとしても、実際に読んで下さっている方は、長くても15秒ぐらいだと思うんです。所要時間って。15秒CMと同じくらいなんじゃないかって。
では、本当に全く見てないのか?っていうとそんなこともなくて、見て下さっている人は確かにいて下さって、読んで下さっているんです。
全く予期していない人から、いいね!をもらったり、「ブログ読んでいますよ」なんて思いもしないと人から言われることもあるんですから。
この【読んでいる人なんてほとんどいないけれども、ゼロじゃない。実際少しはいる】そういう方々が応援してくださっているのではないか!?と思うのです。
この程度が逆にちょうど良い塩梅なんじゃないかと思うんです。
温くもなく、熱くもないお風呂のように。
基本は、読んだ人は忘れているんだけど、書いた自分自身は確かに覚えている。それが力になると思うのです。
これが、衆人環視の妙だと思うのです。
なので、この書き手と読み手のギャップを認識して、
僅かばかりの恥ずかしさを持って、新しいことにチャレンジしていけば良いんじゃないかって思うんです。
そう思えば、言語爆発期の子供に恐れることなくガンガン新しいことにチャレンジしていけるのではないかって思うのです。
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大人になって、新しいことにチャレンジすることに億劫になるのは、
人から見られて恥ずかしいと思うからではないか。
しかし、実際、自分を見てくれている人なんてほとんどいないのではないか?
でも、ゼロではない。少数ではあるが、確実にいてくれて、その人たちが自分を応援してくれている。
それを力に変えて、言語爆発期の子どものように、恐れることなく新しいことにチャレンジしていけば良いと思うのです。