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片付けられない家に巣食う『もったいないおばけ』

『もったいないおばけ』って、日本の妖怪なんだって。

昔、寺の和尚さんが近所の子供たちを晩御飯に招待した。
しかし、子供たちは好き嫌いが多く、ある子供は「大根」ある子供は「豆」また、ある子供は「人参」とその食べ物をつかんでは落とすと言った粗末な扱いをした。

その夜-

「もったいねぇ」「もったいねぇ」とうめき声を上げながら、野菜の化け物が子供たちを取り囲み粗末に扱った事を戒めた。
子供たちは和尚さんにそのことを話すと「そりゃ、『もったいないおばけ』が出たんじゃ」と話した。

その後、子供たちが食べ物を粗末に扱うことはありませんでしたとさ。

めでたしめでたし。

(1982年の公共広告機構のCM)

ニコニコ大百科より

昔は食べ物を粗末にする場所に現れた『もったいないおばけ』。
でも私は、現在の『もったいないおばけ』は『モノ』に埋もれた居住空間に現れるのではと思っている。

居住空間って、家賃だったり、住宅ローンだったり、固定資産税だったりと、すごくお金がかかっている場所。
人が暮らす上でとても大切な場所。
ご飯を食べたり眠ったり憩ったり…。どんな居住空間に身を置いているかで、健康状態や精神状態まで左右される。
居住空間の状態によって夫婦関係が険悪になったり、子供の心が病んだりする事だってあるだろう。

『モノ』を使いこなすどころか、『モノ』に占領されていく現代。人のための空間は『モノ』のための空間となる。
もっともっとと『モノ』を置き、その『モノ』を片付けるための『モノ』を買う。

最終的にはそれらを処分するために誰かが大金を払うのだろう。

『モノ』に蝕まれ、誰かは病み、誰かは去っていく。
なのになぜ、『モノ』に執着するのか。

『モノ』はもったいないのに、自分や家族はもったいなくないのか?

『モノ』に埋め尽くされた居住空間から「もったいねぇ」「もったいねぇ」と言ううめき声が聞こえるのは私だけだろうか。

それに、恐ろしいのは『もったいないおばけ』ではなく『物欲に操られる人間』なのでは?

いつになったら、めでたしめでたしは訪れるのかな。

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