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オランダはなぜサステナビリティ先進国と呼ばれるのか?【第二弾 歴史から読み解く②】
連載と言いつつ、前回からずいぶんと時間が経ってしまいました。次回に続く・・・から1年以上、下書きの中で温め、公開していなかったのですが、(忘れてた)思い立って公開します。
前回の記事では、オランダの行政と産業の連携が上手なんです、ということを説明しました。行政が、環境問題に対する政策をしっかりと打ち出し、それに呼応するように産業界が動いているのです。
では、なぜオランダ政府は環境問題に対してここまで積極的なのでしょうか。それはヨーロッパ内で発言権を得るためにオランダが行ってきた戦略的外交に由来するのでです。
1980年代前半〜
酸性雨問題をきっかけに住宅国土環境省が設立
ヨーロッパでは1970年代頃から化学廃棄物、大気汚染、海水汚染問題が表面化していた。オランダでは環境汚染をコントロールするため、環境法を整備したが、各問題をそれぞれのセクターごとに対応したため、セクター間の中でも齟齬が生じ、環境対策としての一貫性が欠けていた。
そして、1980年代に入ると汚染問題の延長線上で酸性雨問題が大きく問題視されるようになってきた。酸性雨問題は環境汚染問題への対応の緊急性を明らかにし、これをきっかけにオランダ国内の環境政策の見直しがなされることになり、1982年、住宅・国土計画・環境省(Volkshuisversting Ruimtelijke Ordening en Mileubeheer/VROM)が設置された。
VROM大臣は、
環境への関心は次第に経済活動推進の前面に立つようになってきている。適切な環境管理は、雇用や経済成長といった社会的、経済的利益を共存し、さらにはその前提条件となるべき。今後の経済発展は堅実な環境政策を十分に保護することなしに生み出されてはならない。
と提言し当初から環境政策と経済発展は共存しうると主張していた。
1980年台後半〜
環境問題が最重要課題に
1980年代後半からは世界的に環境問題事件が多発し、国際情勢として環境問題に取り組むべきという機運が醸成されてきた。そうした機運が後押し、1989年以降、政治的側面からも環境問題を失業問題よりも最重要課題と考える人が増加してきた。
国内ではNEPP(National Environmental Policy Plan/国家環境政策計画) がVROM大臣、経済大臣、農林水産大臣、運輸・水質管理大臣の4大臣のもと施行された。NEPPを通して、数ある環境問題の中でも気候変動問題が最初に取り上げられ、二酸化炭素、温室効果ガスの悪質性について言及されるようになった。
オランダは、スウェーデン、ノルウェーと並び世界で最も早く二酸化炭素排出削減目標値を公式に設定した国 であり、1989年3月地球大気汚染に関する環境大臣会議がハーグで開かれたことは、オランダが環境政策において国際的にイニシアチブを持って他国を先導した象徴的出来事でもあった。小国であるオランダが環境問題に対して国際的なイニシアチブを握れたのは、問題領域が地球規模での多国間合意を必要とする問題領域であることも一因としてあげられる。
環境問題はボーダーレスの問題であると主張
環境問題はボーダーレスの問題であるため、オランダ一国ではなくEC加盟国およびOECD加盟国全体で取り組んでいく必要がある。1989年11月には「大気汚染と気候に関する環境大臣会議」がノールドウェイクで開かれ、オランダは現実に行動をとってきている事を他国に訴え、他国もこれにならうように呼びかけた。
1997年には、オランダ、ルクセンブルクがEU理事会議長国となった。オランダのような中小国にとって、EU議長国制度はありがたい制度であった。なぜなら、EU内部さえまとまりを持たせることができれば、多国間交渉過程においても本来その国が持っているパワー以上の影響力を行使できる可能性を持つからだ。
オランダとしては、EUの中で「ミドルパワー」であるために、パワーの拡散という理念を持つ多国間の枠組みで国際政治を推進することの方がより国益にかなうという考えがある。そういった考えの下、オランダは戦略的にEUを先導し、そしてグローバル交渉の場でも発言権を握ることに成功したのである。