僕の宝物
昨年末に実家に帰ったときふと思い出して、以降半年探していた宝物が見つかった。
この子。『モーモー』っていう子なの。
曖昧な記憶だが、幼稚園生(3歳か4歳)のときに親が連れて行ってくれたスキー旅行@草津温泉の宿でUFOキャッチャーの中にいるのを見つけて、以後、長く一緒に過ごした親友だ。
小さい頃寝るときはいつもモーモーと話していたはずなのに、いつしか一緒に寝ることをやめてしまい、中学生の時に引っ越した後から行方すらわからなくなっていた。
年末から事ある度に『モーモーがいない』と母親に伝えた所、先日「見つかったわよ」と連絡が...!! 返信文に『写メ送って』と言ったもんだから「あんた、病んでるの?大丈夫?」と眉間にシワが寄った顔でスマホをフリックしただろうなと感じられるメッセージが届いた。(自己認識では、病むどころか、元気いっぱいです。)
親友のことを忘れてしまっていたなんて悲しいことではあるが、モーモーを思い出したきっかけは今の自分の価値観は大人になるまでの過程で経験したことによって形成されていることに内なる自身との対話を通じて気がついたから。
・住んでいた社宅の子供の中では、自慢できる子供でいなければならなかったこと
・運動会は毎年リレーの選手にならなければならなかったこと
・父親と母親が夕飯のときに喧嘩をすると、とても悲しかったこと
・5つ年上のお姉ちゃんのまねっこをたくさんしていたこと
当時感じたことは忘れてしまっていても、その時のことを身体が覚えているというコーチの話もあり、どんなことがあったかを思い出したいと考えていた時にモーモーが「僕のこと忘れてるよ」とちょっと怒りながら現れてくれた。
誰かが見てくれていたから、ズリズリ腹ばいしていたところから立つこともできたし、誰かが喜んでくれるから泥団子だってたくさん作ったし、上手にできた積み木を見せようと運んでる間に落としたら見せることができなかった悲しみで涙を流していたはずなのに、いつから...自分の時間というものを欲しがり、人から見られることを嫌がるようになったんだろうか。
間もなく、33歳を迎える。ねばならないと思って生きてきた31年を終えて、心の赴くままに生き始めて2年目。
大切なものや大切な人を、いつまでも大切にできる自分でいたい。
身勝手な言葉だけど『モーモー、おかえり。』
to be continue.
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