完成と未完成
「完成していた」という言葉。言葉というよりも、認知。
これまでの刻の積み重ねの中で、なにか「完成していた」と認識したものがないように感じる機会があった。
聞かれることはないが「好きな建築物はなんですか?」と聞かれたら、いま日光東照宮を思い浮かべる。
日光東照宮は未完成の建物と言われており、その所以は陽明門の柱の模様がわざと逆さまに掘られていることや、左右非対称の屋根などが建造物に見受けられることからとのこと。
この様式には諸説あるようだが、私は下記考え方から行われたものであって欲しいと思っている。
"江戸時代の人は、満月がその後欠けることから「月満つれば欠けるが如し」といって、完成したものは次に壊れ始めると考えていました。
そこで1ヶ所だけ仕様を変えることで、まだ未完成の状態であるということを表わし、建物が未来永劫いつまでも残るように願ったということです。"
完成させないことによって、未来永劫残るように願うという考えに、心を打たれる。
なにか新しいことを始めることに対して、「チャレンジ」「新たな一歩」と賞賛されフォーカスされることに慣れすぎていたかも知れない。
なにかを終わらせることができる、だから、新しいスタートが切れる。そんな意識も持ち合わせて過ごしてみよう。
to be continue.
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