
J-POPもジャパメタも、“シン・歌謡曲”なのでは?——日本のポピュラー音楽に息づく“歌謡”のDNA ——
1. 日本のポピュラー音楽は“歌謡”の系譜でできている?
J-POP、邦ロック、ジャパメタ——これらは一見バラバラの音楽ジャンルに見えます。しかし、私はこれらの音楽を形を変えた歌謡曲として捉えることができるのではないかと考えています。
日本のポピュラー音楽には、常に「歌詞を大切にし、それを歌い、消費していく」という特徴があります。これは古くは演歌や昭和の歌謡曲に見られる特徴ですが、現代のJ-POPや邦ロック、さらにはジャパメタにも共通する要素です。つまり、これらはすべて「歌謡文化」の中で発展してきた音楽なのではないか——そんな仮説をもとに、日本の音楽文化を改めて見つめ直してみます。
2. ジャパメタもバンドブームも“ロック風味の歌謡曲”だった
1980年代に流行したジャパメタ(ジャパニーズ・メタル)は、世界的なヘヴィメタルブームに影響を受けた日本独自のロックスタイルです。X JAPAN、LOUDNESS、ANTHEMといったバンドは、海外のメタルバンドと肩を並べるほどの演奏力を持ちながら、日本的なメロディと歌詞を重視していました。
ジャパメタに続いたバンドブームでは、BOØWYやレベッカといったバンドが登場し、ロックサウンドの中にも「歌謡的なメロディ」を取り入れました。THE BLUE HEARTSやJUDY AND MARYも同様に、日本語の歌詞を前面に押し出しながらキャッチーなメロディを展開していきました。
これらのバンドの楽曲をよく聴いてみると、実はメロディの作りが1970年代の歌謡曲と非常に似ていることに気づきます。誤解を恐れずに言えば、ジャパメタやバンドブームの楽曲は、「ロックのスタイルを借りた歌謡曲」と言えるのではないでしょうか。
3. 演歌は廃れず“歌謡の一要素”として受け継がれる
「演歌は廃れた」と言われることがあります。しかし、実際には演歌の要素は現代の音楽にも生き続けています。
例えば、美空ひばりの「川の流れのように」は歌謡曲の名曲ですが、現在のJ-POPやバラードにも通じる普遍的なメロディを持っています。また、浜崎あゆみやEXILE、乃木坂46などのアーティストの楽曲にも演歌的なこぶし回しや哀愁のあるメロディラインが見られます。つまり、演歌は単独のジャンルとしては衰退しているかもしれませんが、日本の音楽文化の中で形を変えて受け継がれているのです。
4. テレビ文化と日本のポピュラー音楽の関係
昭和から平成初期にかけて、日本の音楽シーンはテレビによって大きく支えられていました。『ザ・ベストテン』や『夜のヒットスタジオ』といった音楽番組が、ヒット曲を生み出す重要な役割を果たしていました。
この時代、歌謡曲のヒットには「広く大衆に届くこと」が求められました。そのため、耳に残るキャッチーなメロディと、共感しやすい歌詞が重視されるようになり、「みんなで歌える曲」が主流になりました。これはカラオケ文化とも密接に関わっており、日本のポピュラー音楽が「歌詞を重視する」という性質を強めていく要因の一つとなりました。
5. YOASOBI、Adoの台頭——“歌謡曲の進化形”としてのJ-POP
YOASOBIの「アイドル」は、アニメ『推しの子』のテーマソングという枠を飛び越えた大ヒットを記録しましたが、この楽曲の特徴は、ストーリー性のある歌詞と、キャッチーなメロディの融合にあります。Adoもまた、圧倒的な歌唱力で物語性のある楽曲を歌い上げることで、多くのリスナーを惹きつけています。
これらの楽曲を「J-POPの進化形」と見ることもできますが、視点を変えれば、「現代の歌謡曲」とも言えるのではないでしょうか。つまり、歌詞を重視し、それを物語として共有する文化は、形を変えながらも日本の音楽に深く根付いているのです。
6. 日本のポピュラー音楽は“西洋文化の受容”と似た発展をしてきた
日本のポピュラー音楽が「海外の要素を取り入れながら独自に発展していく」という流れは、歴史的に見ても一貫しています。
例えば、明治時代に日本が西洋の文化や制度を取り入れながら近代化していった過程は、音楽にも影響を与えました。戦後にはジャズやシャンソンが流行し、日本流にアレンジされて歌謡曲に取り込まれました。平安時代の唐文化の受容が「国風文化」へと変化していったのと同じように、日本の音楽も海外の要素を吸収しながら「日本的なもの」へと昇華されていったのです。
7. これからの日本のポピュラー音楽はどこへ向かうのか?
現在、ネットの普及によって、テレビの影響力は相対的に弱まりつつあります。その結果、かつてのような「国民的ヒット曲」は生まれにくくなりました。しかし、それは同時に、多様な音楽が自由に発展できる環境が整ったとも言えます。
YOASOBIやAdoのように、日本の「歌謡文化」を継承しながら新しい表現を模索するアーティストが増えていくのではないでしょうか。そして、その音楽は海外からも「日本ならではの個性」として評価される可能性があります。
結局のところ、日本のポピュラー音楽はこれからも「シン・歌謡曲」として進化していくのかもしれません。日本の音楽文化の未来を楽しみにしながら、これからもその変化を見守っていきたいと思います。