埼玉での事件について
訪問診療医である鈴木先生やクリニック併設の訪問看護ステーションのスタッフさんと思われる理学療法士さん達が患者さんの家族であった犯人に散弾銃で撃たれて立て篭もられ、鈴木先生が亡くなられたこの事件。
まずはこの鈴木先生のご冥福をお祈りします。
在宅医療や介護を支えるものの一員としては今回の事件はあまりにも衝撃的でありそして辛い。
この鈴木先生の診療所は地域の訪問診療の8割をカバーしていたという。300人という患者さんをこの先生の診療所で対応されてた。在宅療養支援診療所という24時間医師や看護師に相談でき、緊急の往診もされ、後方支援病院とも連携され入院が必要な患者さんをスムーズに入院に繋がれて、そしてがんの末期の方等在宅での看取りを希望される方にとっては本当になくてはならない診療所でそこの院長先生だったと。
地域で果たす役割も大きかったと思う。
在宅療養支援診療所の先生方ってうちの働いている地域でもほんま熱い先生が多い。
患者さんやその家族にとても丁寧に対応され、意向や想いを聞いてくれて治療方針を提案してくれる。
痛みや辛さを和らげてくれ、生きていくこと、亡くなっていく事に丁寧に対応してくださる、そんな先生がほとんど。
今回のケースは92才の母の訪問診療医であった鈴木先生に対し、息子が胃ろうを希望しており、それが叶わなかったから母が亡くなったと、それに恨みを抱き、母が亡くなった翌日に関係者を呼び出したと。
何度も東入間医師会に息子から相談が入っていたと。一年で10数回と。おそらくこれは在宅医療連携拠点だろう。
多くの場合医師会や病院に併設されている。
この連携拠点にはさまざまな相談が入る。息子から何度もここに相談が入っていたとすると、鈴木先生の耳にも情報は入っていただろうし、役所や包括、ケアマネや関係事業所も巻き込んでカンファレンスやらなんやらが行われていたのではと推測しうる。
息子は母を病院に通院させていた時も病院関係者に対して一方的な要求をしていたと。そして母が通院困難になり訪問診療に切り替わった、理学療法士さんやらなんやらが同席していたという報道をみるとある一定の介護サービスを受けていたと思われる。そうした支援者に対してはどうだったんだろう。母が亡くなったすぐ後の凶行を考えると、複数人を呼び出している所をみるとかなりのトラブルケースだったのだろうと邪推する。
訪問診療で何年か入っておられたという所、在宅でおそらく亡くなられた所を聞く限りは息子なりに介護を必死にしていたのだとは思う。他者を受け入れる(サポートを受ける)ということはできていた。
そしてなんとかして生かしたいと胃ろうを希望するのも分かる部分もある。
ただ一方で変な勘ぐりを入れてしまう。母の年齢を考えると食事が食べられないようになってきたという所をみると老衰に近い状態であり、胃ろうやら点滴の適応は逆に母の身体に負担を与えることになりかねない状態であったのではないか?その辺の話も先生達とされていたとして、なお納得いかずに望むということは、母の年金(一軒家であり数年前に引っ越してきた所をみると蓄えもあったのか?)がある程度あったのではないか。1日でも長く生きながらえることで・・・という裏側をどうしても考えてしまう。
胃ろうが決して悪いわけでは無いし、胃ろうをすることで本人や家族が穏やかに幸せに暮らせるケースだって山のようにある。
選択肢の一つであって然るべきである。
数年この患者・家族に関わられていたならここの話し合いが何度もされていたのかもしれない。
何度も相談が連携拠点に入っていたので有ればいろんな所が関知しているケースだったのではないか?
このケースというか、地域では鈴木先生の所が在宅医療の8割をカバーしていたとなると他の診療所での対応は難しかったのかなと。
ここまでの凶行ケースではないけど、患者や家族が治療方針に納得がいかずに先生を一方的に非難するというのはうちの働いている地域でもある。
AクリニックからB診療所、はたまたC診療所と訪問診療の診療所がコロコロ変わるケースもある。
地区内の訪問診療全てNGで他区の訪問診療に繋がせて頂いたということもある。
こういった一方的な非難や要求をしてくる患者や家族には一つのクリニックで長く持ちすぎない!これはリスク回避をする上で大事だよとある在宅医療の先生に言われた事がある。
理不尽な要求をしてくる患者や家族に対しては医師はドライさも必須やし、時としては撤退をしないと医療スタッフや支援者が巻き込まれるし、時としてこうした凶行に遭遇しないとも限らないと言われた。
ほんまに数年前に言われたことが現実に起きてしまった。こんな事が何度も繰り返されては困る!
地域医療が支えてくれてる多くの患者さんのためにもこの事件は風化されてはならないし、しっかり議論されてほしい。
応召義務や医療や介護の支援者の善意では成り立たないこともありうる。
なんか纏まらない文章になった。
心が荒れている。
支援とは何かを改めて考えさせられている。