「かわいい」に含まれる気持ち悪さ
私は、男性が使う「かわいい」という言葉の中に気持ち悪さを感じる。最初はそれが何故なのか釈然としなかった。でも、最近少し理由がわかったのでここに記しておこうと思う。
いきなりだが、世界のなかで日本の「ジェンダーギャップ指数」が何位かご存知だろうか。「ジェンダーギャップ指数(Gender Gap index: GGI)」とは、世界経済フォーラム(WEF)が毎年発表する男女格差の指数である。この指数は、経済、政治、教育、健康の四つの観点から算出される。
・121番目の日本
"Gobal Gender Gap Report 2020"で調査対象だった153ヶ国中、121位だった。この数字を聞いた時、「かわいい」の中に含まれる気持ち悪さの理由が少しわかった気がした。
・「綺麗」の定義と「かわいい」の定義を比較する。
日本において女性を褒める時の言葉で、もっともよく使われるものは「綺麗」と「かわいい」だと思う。この二つの違いはなんだろうか。
この違いについて書いている次のサイトを見て欲しい。
「綺麗」と「かわいい」の違いをこのサイトは3つの観点から説明している。一つ目が顔立ち、二つ目は性格、三つ目は雰囲気である。
「綺麗」について「顔立ちは純粋に顔立ちが整っている人のことを言います。(中略)このような顔立ちの人は笑った顔もどこか大人びています。」、「性格は、大変大人びています。」、「雰囲気は、大変大人っぽいものがあります。」
一方、「かわいい」については「子供っぽいあどけなさが残る顔立ちのことを言います」や「性格は、大変にぎやかで元気いっぱいです。」、「雰囲気は、子供そのものです。本人も大変にぎやかで、元気いっぱいです。」などと紹介されている。
太字にしている箇所から分かる通り、「綺麗」は大人な女性を褒める言葉であり、「かわいい」は子供のような愛くるしい女性に使われるものである。
・「かわいい」女性が好きな日本人男性
マイナビウーマンが2018 年に393人(22〜39歳男性)に調査したところ、綺麗な女性が好きと答えた男性が29.3%と答えたのに対し、かわいい女性が好きと答えた男性は70.7%だったそうだ。かわいい女性の圧勝だ。
(完全に余談だが、私が「かわいい」と言われることはほとんどない。敗北である。)
可愛さが好まれることは体感で分かっていた。日本では、モデルや女優よりもアイドルを好きな男性が多いと感じるし、アイドルのコメント欄には「かわいい」というコメントが目立つ。「綺麗」と褒めているコメントはそれに比べてずっと少ない。
・透けて見える「支配」構造
紆余曲折話してきたが、男性が使う「かわいい」をいつ気持ち悪いと思うかいうと、その言葉の中に男性の優位の考えを感じたときである。先ほどの定義に則ると、「かわいい」=子どもっぽいだ。
子どもは、精神的にも経済的にもあらゆる面で自立していない。子供っぽいということは、守る必要を感じるということだ。その延長で「かわいい」のなかに、「支配欲」を感じてしまう。男性が優位でいたいという価値観が透けて見えてしまうのだ。支配欲が見える「かわいい」は本当に気分が悪い。
日本で低身長や細身な女性が好まれるのも、「支配」が容易であるからではないか。そのような女性は、極端な例だが持ち上げて連れ去ることだってできる。
もちろん男性が子供や女性を「守りたい」という気持ちが悪いとは言っていない。何かを愛しいと思う気持ちは大切だ。純粋な愛らしさを感じた時に使う「かわいい」はとても素敵な言葉だ。
しかし、「子供らしさ」や「男性優位」を根底に大人の女性に「かわいさ」を求めたり、意見するのは違うと思う。全ての女性が男性に好かれるためや男性中心に生きているとは思わないで欲しい。
「それじゃモテないよ」や「もっと愛嬌がいる」などといったことは、お節介にすぎない。別に全ての女性は男性に好かれるために生きている訳ではない。もっともらしいアドバイスのようなその言葉は、「男性に好かれることが女性にとって幸せ」という男性優位の価値観が透けて見える古くさったものだ。言われて喜ぶ女性は少ない。これを読んでいるあなたはお願いだから言わないで欲しい。
・女性に考えてみて欲しいこと
男性の価値観に合わせる為に女性が、わざと「かわいらしく」振る舞うのもまた事実だ。男性に好かれるために自分を変えるのは、男性中心に考えているのと同じだ。男性に合わせるのではなく、本来の「自分」を好きになってくれる男性を見つけたりして欲しいと思う。好きな人のために努力するっていうのも素敵だ。すべてを男性を中心にするのではなく、譲れない「自分中心」を保ちながら何かを行動する女性が早く増えて欲しい。
「人に好かれる自分」を作ったところで、「自分が好きな自分」でなければ意味がない。かっこいいメイクが好きなのに、かわいいメークをするのは自分を偽っているのと同じだ。いつか行動と心のギャップに悩むようになると思う。
私自身好かれたいと思ったことは何度もある。「かわいげがあったらなあ」と願うこともしょっちゅうあった。それを演じてみたこともある。結局それを演じていても自分を好きになれた訳ではなかった。むしろ演じれば演じるほど自分が苦しくなった。
今私は、みんなに好かれるよりも、本当の自分を知ってもらいたいという気持ちが大きくなった。このことがnoteを始めた大きなきっかけだ。多くの人に好かれる自分を演じることをやめたからこそ、批判を恐れず意見をできるようになった。
「かわいい」という誰かに好かれる自分を過度に追い求める女性が減って、自分の理想を目指す女性が増えれば、日本の男女格差も埋まるのではないか。「Kawaii Culture」は、日本が世界に誇る文化ではないのかもしれない。
・目指すのは枠組みに縛られない社会
他人の目を気にする日本の社会的背景があるからこそ、「かわいい」を目指す女性も多いのだろう。男女という枠組みで散々このノートを書いてきたが、本当は「男女」という性別に縛られて物事を考えたい訳ではない。
フェミニストだと自分自身は思っていないし、女性の権利拡大だけを主張するような人にはなりたくない。男性も男性の生きづらさをもちろん感じていると思う。言ってる本人も綺麗事だとも思うが、「個人」を尊重する社会になって欲しい。違いを批判して枠組みにくくりつけるのではなく、面白いなそういう考え方、見方もあるんだと思う社会になって欲しい。
(こんだけ男女という枠組みを使って物事を考えている自分が、もしかしたら一番ジェンダーに取り憑かれているのかもしれない。)
・最後に
考えの浅い部分も多いのに、ここまで読んでくださりありがとうございます。感想や意見を教えてもらえると嬉しいです。
あるぱか