【日本はじまりの地】橿原市の歴史旅日記
2023年10月中旬、奈良県にある橿原市を旅しました。
今回は、歴史大好きな私が、
ずっと行ってみたかった橿原市を旅した旅日記です。
それでは、出発!
今回の歴史旅は、近鉄橿原神宮前駅からスタートしました。
はじめに向かった場所は、駅名にもなっている「橿原神宮」。
参道の入り口には、大きな木製の鳥居がでーん!と待ち構えていました。
鳥居をくぐり、砂利道に足を取られながら参道を歩くと、御本殿のあるエリアに辿り着きます。
門には大きく「紀元二千六百八十三年」の文字が。
今年2023年は、初代天皇である神武天皇が即位してから2683年とのこと!
天皇の御代の長さに驚きです。
御本殿にお参りした後は、次の目的地「神武天皇御陵」まで歩いて行きます。
初代天皇のお墓「神武天皇御陵」は、大和三山の一つである畝傍山の近くにあります。
神武天皇御陵へ向かう途中に「畝傍山登山口」を見つけ、ついつい登りたくなりましたが、我慢。
時間もないので、先を急ぎます。
御陵の入り口には「神武天皇御陵」と書かれた石がありすぐに分かりました。
そこから神社の参道のような道を歩きます。
自然豊かな場所で、鳥の声が聞こえますが、あまりにも大量の鳥が鳴くため、さえずりとは言い難かったです。最早騒音笑
ついに辿り着いた神武天皇御陵は、何と柵で完全に閉められていました。
どうやら、近くにさえも寄らせてもらえないようです。残念。
どうしようもないので、すぐに引き返しました。
次に向かったのは、「奈良県橿原考古学研究所附属博物館」。
今回の橿原旅で1番楽しみにしていた場所です!
入館料は想像の4倍ほど高く、驚きの800円!?
強気の値段設定でした笑
今回、私が訪問したときの特別展は、
「古事記編纂者 太安萬侶」でした。
みなさん、太安萬侶(おおのやすまろ)を知っていますか?
太安萬侶は、元明天皇に古事記を編纂するよう命ぜられてから僅か4ヶ月で編集したスーパー編集長です笑
大学受験のときの記憶を呼び戻し、
「あの暗誦力のすごい頭のいい人だっけな〜」
と考えていましたが、
それは稗田阿礼(ひえだのあれ: 古事記編纂に関わった別の人)でした笑
いや〜、考えているところで欲しい情報をくれるから博物館展示ってすごい。
太安萬侶の特別展なのに稗田阿礼が登場してくるなんて!!
次に、お目当ての常設展です。
博物館資料が豊富でびっくり!
でっかい埴輪がずらーっとあって大興奮!
楽しみにしていた常設展ですが、
博物館資料の多さに酔ってしまい、
クタクタになりながら巡っていました。
序盤から集中力が切れてしまい、残念ながら後半はほとんど覚えていません笑
(それくらい博物館資料が多いってことです!)
奈良県橿原考古学研究所附属博物館の見学が終わった後は、
最後の目的地「藤原宮跡」に徒歩で向かいます。
約35分のお散歩タイム!
途中にあるスーパーで柿の葉寿司を買って食べました笑
道草食いながら歩き、遂に辿り着いた藤原宮跡。
視界に映るは、一面のコスモス畑でした。
藤原宮跡地は、1300年を経た今、お花畑になっているようです。
建物の掘立て柱跡には、ポールが立っており、
それがなければ元天皇の住まいとは分かりません。
こんな田舎でのどかな場所が、1300年前は政治の中心地だったんだなぁと考えると、不思議な気持ちになりました。
100年後、1000年後の世界は、どんな世界になっているのでしょうか。
さて、全ての予定を終えて、
残るは藤原宮跡から歩いて大和八木駅へ行き、家に帰るのみとなりました。
ただただ無心に歩いて駅へ向かうだけのはずでしたが、なんと思いがけず歴史スポットに遭遇しました。
何となく古い街並み、そして「古道」の文字。
そして、風情ある十字路に遭遇。
八木の町は、古代からの幹線道路で東西に走る「横大路」と南北に走る「下ツ道」の交差点を中心に発展したそうです。
私が、偶然辿り着いた十字路は、この「横大路」と「下ツ道」の交差点だったのです!!
古の国道1号線は、今では小さな小道。
だけど、そこは、きっと日本の歴史に欠かせない大切な道。
美しく夕日に照らされる十字路を眺めながら、
藤原宮跡でも感じた「かつての政治の中心地」であったというこの地の持つ歴史に思いを馳せました。
今ではのどかな町「橿原」。
けれどここは、かつて政治の中心地でした。
みなさんも、静かな町に眠る日本の曙の歴史に思いを馳せながら橿原市を旅してはいかがでしょうか?
p.s.
私は、大和三山(畝傍山、香具山、耳成山)を登りにきっとまたこの地に来ます。
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