![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/49464000/rectangle_large_type_2_1627210e99932985dfd710771a282afd.jpeg?width=1200)
「医師」と「コミュニケーター」の役割を分けるのはどうだろうか~「医師の言葉に傷つく人」を減らすために。
夫が脳出血、母が心筋梗塞と、大病をした。
医師から病状、「治る見込み」を聞いた時に、
私は大きく傷ついた。
振り返って考えれば、
最初に医師は「最悪のこと」を告げ、
後からショックを受けないようにしているのかもしれない。
あるいは、
「先生が言ってたこと、間違ってたじゃないですか」
と訴訟になることを避けているのか。
医師は忙しいので、言葉をオブラートに包む暇さえないのかもしれない。
それでも、やっぱり、
全ては「言い方」なのではないだろうか。
医療チームには本当に感謝している。
それでも、私は、やっぱり、こんな言われ方をする必要は
あったのだろうか?とモヤモヤしていた。
夫を診断した医師は、最初に私と夫に、
「グラフ」を見せた。
「まー、機能が戻ったとしても、これ位です。
元通りには戻りませんね」と淡々と言った。
これに、夫は涙目になった。
上ずった声で、
「先生、私は、全力で頑張りますから」と涙を拭いた。
私も、大きく落胆した。
自分も傷つきながら、私は夫のケアもしなければならなかった。
多大なストレスを感じた。
結果を見れば、
うちの母は『亡くなる見込み90%』と言われたが
今もピンピンしているし、
夫は、驚くような回復をして、医師を驚かせた。
結果オーライ、だろうか。
「治ったから、まいっか」かもしれない。
うちの家だけなら、そうだろう。
しかし、私が病気の家族を持つ友人と話をした時、
ほとんどの人が
「医師の言葉に傷ついていた」ことを知る。
家族に病人を抱える友は、ほぼ100%、同じ経験をしていた。
私の友のSちゃんは、お父様が脳の病気をして、
寝たきりになった。
お父様は、言葉は発することはできなくても、
「会話は理解」できていたらしい。
医師は、そのお父様の前で、
「ま、治らないですね。このまま植物状態です」 と言った。
それを聞いたお父様が、涙を流した。
Sちゃんは、それを見て、
「先生、今の言葉、撤回してください」と抗議した、と言う。
私がお世話になっているTさんも、
お父様が脳梗塞になり、寝たきりになった。
Tさんの高齢のお母さまは、
お父様は治る、と信じていた。
しかし、医師は、また淡々と言った。
「家には帰れませんね(施設に入るしかありません)
『看取り』になると思います」
※「看取り」=無理な延命治療などは行わず、
高齢者が自然に亡くなられるまでの過程を見守ること。
高齢のお母さまはショックを受け、
「私はもう、病院は行かない」と言い、ショックを受けて
寝込んでしまう。
母を心配し、子ども達が交代で田舎の母を見舞っている。
子ども達も激怒した。
こんな言い方はない。
長女は、この病院の「意見箱」に投書をしようとしたら、、、
同じような思いをしていた人の
同じような意見があったため、書くのをやめた、という。
なんだか、聞いていて、悲しかった。
私も怒った。
医師は、素晴らしい仕事だ。
でも、医師の多くはIQは高くでも、
EQ(心の知能指数)が高い人は少ないのではないか。
受験勉強の勝者であっても、
人間のことは全く分かっていないのではないか。
だったら、
「科学者としてデータを分析してくれる医師の役割」と、
患者の家族に「言葉を選びながら、話をしてくれる」
EQの高いコミュニケーターを、分けて欲しい。
今から、忙しい医師が、EQを高めることは
期待できないから、だ。
何百人、何千人と見ている患者の一人、かもしれないが、
私たちには、替えの効かない、大切な家族で、
心を痛め、苦悩しているのだ。
夫のように「奮起」してリハビリを頑張れる人は、いい。
でも、受けた言葉にショックを受けて、
心を閉ざし、生きる気力を失う人も多いのではないか。
この問題は、どこに投書したらいいのだろうか。