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女子ウケ vs 男子ウケ、どちらを狙ったら女子は幸せになれるのか~中間決算報告、の巻。

【女子ウケと男子ウケ、女子はどちらを狙ったら幸せなのか。18歳の時に結論が出なかったが、不惑を過ぎて、そろそろ結論が見えた】

これは、哲学的な命題だと思う。
高校生の時に漠然と感じたモヤモヤ。「何かがおかしい」のは知っていたが、それを言語化できていなかった。

不惑を過ぎ、私はやっと結論が見えてきた。

私は地方の女子高に通っていた。その女子高は、
「S女の女は勉強ばかりしてブスが多い」と、
女子としては屈辱的な烙印を押されていた(笑)

※注意:カワイイ子もいた。

ティーンの私たちは、それを聞いて非常にモヤモヤした。
不条理を感じ、やりきれなかった。

宿命のライバルのような女子高は、
偏差値のランクは下であっても、化粧もバッチリ、
可愛さと男ウケが至上命題とされ、男ウケが
【企業理念】のように植え付けられた女子高、
男子の人気が高かった。

勉強する < 化粧&可愛さ演出のほうがコスパが高い

という本能的な計算に基づくもの、だろう。

一方、私たちは、こんな状態なので、心置きなく勉学、部活に励んだ。

男ウケ < 女ウケ  が自ずと重要な価値基準になっていった。

まるでガラパゴス諸島のように、
外的な影響を受けず、私たちは独自の進化を遂げた。

カワイイか、よりも、これは私の女友達がドッと笑ってくれるか。

もっと言えば、女友達にドン引きされない、仲良くしてもらう連帯感のほうが、死活問題であった。

サル山だってそうだろう。仲間外れにされたら、生きていけない。

私の文章の原型も、ここで培われたように思う。
「キャ♪ ネイルやってもらったー」
と、カワイイ写真をアップするより
「私の女友達は笑ってくれるだろうか」が重要だ。

私の今のところの結論は、
女性は、良くも悪くも男で人生が変わる。

男ウケを考えて自分を変えるよりも、
私たちは自分たちのおもしろさ、自分の興味を追及した、と言えるだろう。

あの思春期の時期に、とにかく自分を歪めることなく、
とにかく勉強、部活、女友達、に集中できた。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

あれから数十年(きみまろ風に)。
男ウケだけで生きてきた女性たちは、今何をしているか。

幸せかい?
ハイスペックな男子を捕まえて結婚、がゴールではないわよ。

18歳の時に、私が言語化できなかったモヤモヤは、これだ。

「カワイイは、他人からの評価が基準であり、期間限定商品である」

私の周りを見渡しても、
男ウケ狙いだけで生きていけるほど、人生sweetではない。

同級生は、そろそろ、人生ゲームを1周している。

結婚、子育て、離婚、再婚、ぐらいの人が増えている。


若くて結婚した友の半数以上が、離婚している。

「曖昧模糊で、移り気で、実体のないもの」
に頼るなんて、なんて危ないのだろう。

あのS女で勉強と部活ばかりしていた女子たちは、
久しぶりに会うと、あっぱれな仕事ぶり、
話をしても非常におもしろく、頼りになる。

「勉強ばかりでブスばかり」と言われていたS女。
アラフォーになって思う。
勉強ばっかりしていたこと、当たり前だが、それでよかった。

目先にことに惑わされず、これでよかった。

この年齢で何かの会合に呼ばれる理由は、

「あなたは、話してておもしろいから」

だと思う。

スッカラカンの頭では、話についていけないはず、だ。

みんな、人生経験を積んで、大人になり、薄っぺらいものは見抜ける。

漫画家の柴門ふみさんは、著書の中で

「若い頃、純文学ばかり読んでいた。全く意味がないと思っていたが、

大人になってから、その読書が役に立った」という。

大人になると、周りの人の社会的なレベルが上がっていくから、だと思う。

10代の頭が柔らかいうちに、勉強してて良かった。そして、女ウケに重きを置いていたけど、結局私は幸せになった。

ずっと本を読んでいたことは、20年後間熟成され、今、役に立っている。

これが、人生の折り返し地点の「中間決算報告」だ。
これが今のところの結論だ。

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