見出し画像

『無門関』で”絶対的な自由”を掴む

『無門関』という本をご存じでしょうか?

禅に興味のある人はご存じかもしれません。
もしかすると、「以前読んだけどチンプンカンプンだった・・・」という人も多いかもしれません。

本記事では、そんな『無門関』について紹介していきます。



無門関とは?

無門関とは、中国南宋時代の無門慧開によって編まれた禅の公案集です。
公案とは、一休さんのとんちのようなもの。

本書には、昔の中国の老子のエピソードを元にした48の公案が書かれており、これらの公案をヒントに覚りを得るためのテキストのようなものになっています。


絶対的な自由を掴める

無門関を通じて、「絶対的な自由とは何か?」を掴むことができます。

絶対的な自由を掴むには自己内観=自分の内側を観ることが大切です。
無門関の公案を読む&考え続けることで、自己内観に繋がります。

「自己内観は大切だ」と最近よく耳にします。
でも、いざやろうとすると「自分の何を観たら良いの?」「どんなポイントで見たら良いの?」と困ってしまった経験がある人もいるのではないでしょうか?
こうした時に、無門関の公案がヒントになります。

無門関の公案をヒントにして自分の内側を観続けることで、「絶対的な自由とは何か?」を掴むことができるのです。

ちなみに、絶対的な自由を掴むためには、以下の点がポイントだと考えます。

ポイント①|理解を手放す

ポイント②|執着を手放す

簡単に説明していきます。


ポイント①|理解を手放す

絶対的な自由を掴むためには、理解を手放すことが重要です。

なぜならば、理解が私たちの自由を縛ってしまうから。

例えば、「私は●●なんだ」とか「未来は●●なんだ」と決めつけてしまう時ってありますよね。
つまりは、頭で理解することで決めつけてしまっている状態。

こんな風に、何かを決めつけてしまっている状態は自由とは言えませんよね?


あるいは、私たちは学校教育を通して「世の中には正解がある!」という考えを持つようになりました。
学校のテストには正解があり、より多く正解をした人が評価(成績が良い)されますからね。

その結果、多くの人が「自分の人生の価値を高めるためには、より多くの正解を知っていた方が良い!」という価値観を持っています。

こんな風に、自動的に固定の価値観に従っている状態は自由とは言えませんよね?

ですので、絶対的な自由を掴むためには、理解を手放すことが重要になるのです。

無門関は、こうした「理解する重要性」をぶち壊してくれます。


ポイント②|執着を手放す

絶対的な自由を掴むためには、執着を手放すことが重要です。

なぜならば、執着していると他の選択肢を選べなくなるから。

ちなみに執着するとは、何かをギューッと握りしめている状態をイメージしてもらうと分かりやすいかもしれません。
ペンをギューッと握りしめているのを想像してみて下さい。
この状態だと、他の物を持とうとしても持てません。

これが他の選択肢を選べないということ。

1つしか選択肢がない状態って、自由とは言えませんよね?


では、執着を手放すにはどうしたら良いのでしょうか?

答えは、執着に気づくこと。


例えば、貧乏ゆすりをしている人をイメージしてみて下さい。

貧乏ゆすりがクセになっている人のほとんどは、おそらくは無意識でやっています。

無意識でやっているが故に、自分で気づいて止めることはなかなか難しい。
でも、人から「貧乏ゆすりしてるよ!」と言われると止まります。

つまりは、執着は気づけば手放せるということです。


とはいえ、実際は自分が何に執着しているのかを気づくことが難しいものです。

なぜならば、ほとんどの場合は無意識でやってしまっているから。

上記のように、都度都度誰かが指摘をしてくれれば良いのですが、なかなかそうもいきませんよね。

こうした執着に気づかせてくれるのが、無門関なのです。


ぜひ、無門関を読む際は、絶対的な自由を掴むためにも「理解を手放す」「執着を手放す」ことを意識してみて下さい。

=================================

より詳しく知りたい方は、ぜひご覧下さい。


いいなと思ったら応援しよう!