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成田「龍泉の湯」の横で古代ロマンが待っていた

温泉とアウトレットに行きたくて
周辺を調べると成田「龍泉の湯」がヒットした。
図らずも愛知の竜泉寺の湯からリュウ続きで景気よく、千葉の龍泉にも行ってみることにした。

龍泉の湯とは

この地方には昔から龍にまつわる伝説がある
その昔雨が降らず大干ばつに見舞われた際
働き者の村人たちを助ける為に龍が雨を降らせてくれた。
しかし勝手に雨を降らせた事に大龍神が怒り 空で龍の体を三つに斬りいた龍の頭が安食(現在の栄町)に、腹が本埜(現在の印西市)に、尾が大寺(現在の函瑳市)に落ち、
各地に籠を祀った龍角寺、龍腹寺、龍尾寺がある。
この地にまるで龍がくれた恵みのごとくとても良い泉質の温泉が湧き出した事から
龍泉の湯と名づけました。
龍がくれた恵みで日頃の疲れを取り癒しのひと時をお愉しみ下さい。

龍泉の湯HPより抜粋

何度読み返しても、龍が不憫でならない。
龍の社会にも理不尽ってあるんだ。

アクセス

千葉県成田市松崎1249
最寄りは成田湯川駅徒歩10分、成田駅からも市バスが出ている。

温泉について

泉質は含よう素 – ナトリウム – 塩化物強塩温泉
(高張性中性低温泉)。
茶褐色で滑らかなお湯当たり、そして割と熱め。炭酸泉は温度低めなので交互に入る。
露天にはつぼ湯が5つほどあり大充実、一つ一つのお風呂が大きくて開放感がある。そして何より露天の植栽がとても良い。
季節折々の植え込みや水鉢の配置がとても素敵で、枝に膨らんだ雀が集っているのを見るのも楽しい。日本庭園の中でゆったりとお風呂に入る贅沢気分を味わえる。

hpより拝借

休憩エリア

1階には売店と飲食店がある。
そして、休憩スペースから見えるお庭も立派。

1階休憩エリア

2階は古民家の屋根裏のような梁を感じながら
ソファーエリア、ごろ寝エリア、マンガブースもあって最高。私もたまらずごろ寝させていただいた。

ソファエリア
ごろ寝マンガエリア

温泉の泉質背景

千葉の成田周辺エリアも含ヨウ素、塩化物強塩泉が多い印象がある。龍泉の湯がある成田市松崎にも、合同資源のヨウ素採取工場があり龍泉の湯含む近辺の温泉施設に利用されているらしい。

成田市の地質

成田市の地質は第4紀層からなり、概ね赤褐色の関東ローム層に黄褐色の砂層と小砂利混じりの成田層で形成されている。成田層は洪積世(約10万年前)に、まだ成田市が古東京湾と呼ばれる鹿島方面に開いた内湾の海底にあった頃、長い時間をかけて土砂が堆積したものであるようだ。(成田市
また、千葉の天然ガスは、比較的深度の浅い地下水に溶解していることから、水溶性天然ガスと呼ばれている。この地下水は塩分を含んだ太古の海水で「かん水」と呼ばれており、通常の海水の約2,000倍ものヨウ素が含まれている。ちなみにこの天然ガスの主成分は、地中の有機物が微生物によって分解されて生じるメタンガス。この有機物の起源は、第4紀層である関東ローム層の時代に砂や泥と一緒に堆積した動植物だそうだ。こうした天然ガスは成田市の含む南関東一帯に埋蔵されているらしい。
先に記載した合同資源のヨウ素採取工場が松崎にある理由も納得、龍泉の湯と成田の地質が私の中でつながった。(浅い?)
参考:https://www.tengas.gr.jp/keiyo/keiyo_outline/

余談なんだけどね

アウトレットから温泉に向かう道中、「玉造」の地名や「遺跡」などの案内を目にした。
むむ、匂うぞ。

調べてみたら、成田ニュータウンの北端部分に八代玉作遺跡があった。
周辺には多くの古墳が分布した公津原古墳群があり、北北東約500mには、外小代玉作遺跡が位置する。この遺跡は東日本で最初に発掘調査された玉作遺跡で、古墳時代前期から中期にかけ、主に緑色凝灰岩を材料とした管玉の製作が行われていたことが明らかになったそうだ。
参考:https://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/p411-032.html

緑色凝灰岩、初めて聞くワードだったのでどんな物質で、そして成田周辺で採掘できるもんなのかと調べてみると、
どうやら凝灰岩は海底火山活動による火山灰が堆積してできたもので、しばしば緑色をしていることが特徴で、グリーンタフともいうらしい。これは日本海側を中心に日本列島に広く分布していて、秋田県をはじめ東北地方に特に広く分布しているようだ。
参考:https://sanbesan.web.fc2.com/ohda_geo/greentuff.html

おおお、成田で採取できないんじゃん。
ということは古墳時代から他の地域と交易があったということかしら。
色々調べ切った後にドンピシャの資料を見つけてしまった。

やはり千葉県では緑色凝灰岩は採掘されないので、別の地域で入手していたようだ。
入手先としては栃木あるいは、群馬が考えられるらしい。かつて印旛沼が内海の一部で、鬼怒川などがこの内海に流入しており、河川を利用した水上交通によって石材が持ち込まれた可能性があるとのことだ。また、成田の遺跡では加工販売が主流だったっぽい記載もある。
成田は今も昔も交通・物流の結節点なんだなあ。
参考:https://www.echiba.org/wp-content/uploads/2022/12/2016_NARITA_NT_isekiten_zuroku.pdf

さらに色々調べているうちに、千葉県が全国で古墳数が第4位、貝塚の数に至っては全国最多であることを知った。理由は諸説あるが、ヤマト王権などと強く結びついた有力な地方豪族が多かったことが一因として考えられているらしい。
ええ、千葉すごいじゃん。
千葉って私の中では鎌倉時代以降しかあまり認識がなかったのだけれど、もっとずっと昔から歴史は紡がれていたんだな。
龍泉の湯ついでに古代ロマンの扉を開いてしまったようだ。シェンローン

調べ始めたら止まらなさそうなので
今回は一旦ここでお開きしようと思う。
急な尻すぼみはご愛嬌。

いい湯でした。

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