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【「聞く力」より「聞かせる力」が必要なのでは?】

今から8年前の2012年に発行された阿川佐和子さんの『聞く力』という新書と、この言葉自体が流行ったことを覚えていますか。
確かにタイトルそのものにインパクトがありましたし、実際に今でも、社会的に関心が高いテーマだということで、この本の名前をとりあげたのですが、わたしの話は、もう少しさかのぼります。
わたしが開発コンサルタント会社のフィリピンのマニラ駐在員のときの話なので、2008年以前のことです。駐在中には、毎年、夏前と年末の年二回ほど日本に一時帰国していました。
ある年末の一時帰国で、東京の事務所に出社したときに、あるシニアコンサルタントが酒の席か何かで、「〇〇君は聞く力があるから」という言葉で、同僚をほめていたことがありました。
実際に、開発コンサルタントやフィールドワーカーが「聞く力」があると評価されることは、とても名誉で光栄なことだと思います。
しかし、この5年ほどでしょうか、自分で「共創」ということを考える中で、「聞く力」も大事だが、それより「聞かせる力」のほうが大切なのではないかと思うようになりました。
阿川さんは、「聞く力」を、まったく初対面の「話し手」から「インタビュー」などの方法で「聞き手」が「話を聞きだす力」みたいなことをいっています。
そして結論として、聞き手が媒介として「話をする当人にとっても、自ら語ることにより、自分自身の心をもう一度見直し、何かを発見するきっかけになったとしたら、それだけで話し手が語る意味が生まれて(p253)」くる、そんな聞き手を目指したいと言っています。
彼女はその前提で先の本を書いていますが、はたして、日常会話において、「聞き手」と「話し手」が、最初から区別されているのでしょうか。
例えば、最初から聞き手と話し手が規定されている「インタビュー」の場合でも、普通の人どおしの場合は、阿川さんが例に取り上げた著名人のように、事前に下調べするのに役立つ資料が整っていることはまずありません。
さらには、初対面の聞き手と話手がごっちゃである普通の「会話」の場合を考えてみましょう。例えば、イベントやワークショップで講師やファシリテーターが、参加者にグループワークをさせることが、とてもよくあります。まず、やることは自己紹介ですよね。
「はい、みなさん、15分の時間を与えますので、10名くらいのグループ内で、自由に交歓してください」と、話を振られたらあなたはいったい、どのように対応していますか。
ここで大切なのは、はたして「聞く力」なのでしょうか。われわれは、相手のことについて何も知りません。いったい、何を聞いて、どうそれを深めていけばよいのでしょうか。
このような自己紹介の場で、初対面の人から自慢話など、自分が全く関心のない「その人が話したいこと」を、いやいやながらも、えんえん「聞かされ」て、みんなの自己紹介の時間が終わってしまったことがありませんか。
そういう人に対しては、直接に非難するのではなく、うまくやんわりと自分やグループのメンバーに話をさせる、つまりわれわれの話を「聞かせる」ような方策を考えないといけません。
つまり、相手に自分の話を「聞かせる力」が求められているのです。
特に時間が限られている場合、しかも相手が初対面の人や顔見知りでも何を考えているのかわからない場合は、相手を立ててその人が話したいことを探るよりも、自分はこんなことに関心があるので、それを軸に「あなた」と話がしたいというメッセージを最初に送ったほうが、自分だけではなく、相手にとってもありがたい場合があるのです。
相手も、こちらが示した興味の範囲の中で自分の関心のあることに回答すればよいので、結果的に自分と相手の両方が興味のある話になる可能性が高まります。
このように、話し手と聞き手が形式的に決まっていない場合に圧倒的に重要なのは、相手の話を「聞く力」ではなく、自分の話を「聞かせる力」なのではないでしょうか。
むろん、これは「聞く力」が不要といっているのではありません。われわれから、さりげなく自分の興味のありかを示して、相手にそのことに興味を持ってもらって、相手から自分が話したい内容を「聞いてもらう」ように仕向ける。その過程で相手が話したいことと自分が聞きたいことをすり合わせる。
この「聞かせる力」は、相手の話をよりよく「聞く力」につながっていく。つまり「聞く力」と「聞かせる力」というものは、補完的なものといえるのではないでしょうか。

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