しあわせの原価計算
旅行に行こうかなと思っている、と知人に話したら、近場の海外への弾丸旅行を全力で勧められてびっくりしてしまった。
曰く、
国内旅行と同じくらいの値段で行けて
時間も掛からなくて
買い物がたくさんできて
あちこちでいろんなものが食べられる
とのこと。
おんなじお金をかけるなら、多くの物が買えて多くの場所に行けるほうが、コスパがいい、というのがその人の考えらしかった。
その国が好きな人や、旅行に行くのが好きな人のことを、どうこう言うつもりはまったくありません。
きっとわたしの知らない魅力が、たくさんあるんだろうと思う。
それとはまったく別の話として、
多くの物が買えて多くの場所に行けることがお得だという考えで、ほんとうにしあわせな時間を過ごせるのかなあ、と思う。
わたしにとっては、
慌ただしく移動するのはくたびれるし
人混みもくたびれるし
東京と同じレベルの衛生環境じゃないと無理だ。
そういうことを我慢するのはわたしにとって、払うお金と同じように、コストの一部だ。
肉体的もしくは精神的に消耗することは、コストだと思う。
繰り返しになるけど、これらを楽しめる人のことを批判しているのではありません。
どれだけ並んでも、買い物ができることでハッピーになれる人とか
そこのお店でしか食べられないものを食べることに執念を燃やす人とか
インスタに上げる素敵な写真を撮ることで好きな自分でいられる人にとっては、
それはもう素晴らしい選択肢だと思うし、そういう楽しみはあればあるほど素敵だ。
わたしが違和感を持つのは、
自分がコストを支払っていると気付かずに、目に見えるお金の減り具合だけで、得をした/損をした、と判断する世の中。
こういうことは、日常の中にもたくさんある。
ほんの数円安いものを買うために、遠くのお店まで行くとか。
その時間と労力もコストだってことを忘れて。
田舎に住むとご近所さんから貰い物をするからコスパがいい、なんてやっているテレビ番組もあった。
その人間関係を保つためにどれだけ努力を支払うんだろう。
とはいえわたしも、ドラッグストアのポイントを貯めてポイントで買い物するのが好きなので、少し混んでるけどポイント5倍の日を狙って買い物するやつをやっている。
お得だからではなくて、ただなんとなく嬉しい、それだけ。
(そもそもポイントで買い物する分の代金は、元々お店のほうは販売にかかる経費として計上したうえでポイントを付与しているんだから、こちらは得してるわけでも損してるわけでもない。)
節約することが生活の楽しみ、達成感を得られる、という場合もあるので、それは楽しめばいいと思うけど、
コスパの亡者になってしまうと、結局知らぬ間に、疲れたり、イライラしたり、その結果まわりの人を大事にできなくなったり、いろんなものを支払うことになると思う。
これは逆も言えて、お金を多く払ってでも、得られる成果と天秤にかければ妥当な取引であるってこともけっこうある。
わたしは所得が少ない割にマッサージにお金をかけている。
コスパがいいとは、全然思わない。
探せばもっと安いマッサージ屋があるのはわかっている。
でも別のお店で内装の雰囲気やサービスに気疲れすることを考えれば、そこそこの値段を出してでも居心地のいいお店を選ぶのは、
日々のしあわせを形成するのに必要な経費と言える。
一事が万事その調子なので、旅行もきっと、それなりのお金を払って、人のいないところで、ただ景色を眺めてるような過ごし方になるだろう。笑
お金や時間や体力や気力といったものを、どんな配分で使うと自分の望むしあわせを得られるのか、人によってまったく違うはずで、
それを知っていくこと、自分だけの原価計算をすることが、実は人生全体でみるといちばん「コスパがいい」方法なんじゃないかな。