年中行事の才能
帰り道に空を見上げたら、月がとってもきれいだった。
自分自身が「あ、月がきれいだ」と思った瞬間が、わたしにはたまらなく大切で、特別なのだ、と思った。
スーパームーンとか、なんちゃらムーンの日、ではなく。
わたしには、年中行事の才能がない。
まあ、性格が捻くれていることも手伝ってイベントごとには悉く乗り切れないのだけど、
それでもクリスマスとかハロウィンとかに関しては、
別に日本の文化じゃないしー、
わたし無宗教だしー、
あれは企業の努力による経済活動だしー
みたいな言い訳もできなくはない。
しかし、
そもそもどこからどこまでが日本の文化なんだ。
稲作だって仏教だって大陸由来じゃねえか。
と思う自分もいる。
いずれにせよ所謂「ああ、日本的だなあ」と思うような年中行事、それはお正月に代表されるのだと思うけど、
そういったものに対しわたしは一切の親和性がない。
会社では年末に納会があって、年が明けたら新年会があった。
SNSを見ていても多くの人が2018年の振り返りと2019年の抱負を語っている。
え、まじか、みんなそんなに2018年から2019年の変わり目を祝福できちゃう感じなのか……と思った。
2018年の自分と2019年の自分、実際なにか違うのかなあ。
明けましておめでとうございます、なのだから、これはおめでたいんですよ。祝祭なのですよハレの日なのですよ。
無事に年を越し新たな年を迎えることができたのだからおめでたいし、年神様をお迎えする慶ばしい日なのですよ。
頭ではわかってる。
え、でも死ぬかもしれない可能性ってどの日も変わらなくない?
年明けても今日死ぬ可能性あるよね?
あとみんなまじで神様お迎えしてる感じですか?
大晦日にはそばを食べた。
夫が出汁から作ってくれてとってもおいしかった。
でも「2018年終わるなあー、新しい年はこんなふうにしよう!」という気分には全然ならない。
ふつうの日と、ふつうの日。
みんなどうやって新年の気持ちになってるんだろう?
というかこの日が1月1日なのってグレゴリオ暦ですよね、日本人の生活の中では必然性ないんだよね?
疑問が尽きない。
疑問は尽きないけどそれ以上に、羨ましい。
わたしもお正月飾りをしたりおせちを作ったり初詣したり、
季節の花を愛でたり旬の食材を楽しんだりお月見したり盆踊りしたりしたかった。
いや、したかったかはわからないけど、絶対そっちのほうが楽しそうじゃないか。
豊かな生活っぽいじゃないか。
なんでわたしはこんなに情緒に欠けるのだろう。
ものすごく粗末な人生を送っているようでとても悲しい気持ちになった。ことよ。
こんなふうに考えたのは初めてで、26年間ずっとそう思ってきたわけではない。
恐らく自分が本当に思っていることのみに従って行動するようになった結果、
自分が「明けましておめでとう」と思ってないことに気付いてしまったのだと思う。
3歳になる前、親戚と花火を見ているときに「花火きれいだねえ」と言われたわたしは、
「見てるんだからわかってます。」と言ったらしいので、生まれながら情緒がないのかもしれない。(可愛げもない。)
今日、月がきれいだ、と思ったことになぜか、安心した。
こんなときに俳句なんて詠めたらいいのに、と思った。
わたしはたぶん、予め定められた日に定められた行事の中で
なにかを祝ったり行事に即した気分になったりする才能がないんだな。
だから、わたしが月がきれいだ、と思った日が月がきれいな日。
わたしが今日からこういう目標を持とう、と思った日が目標を持つ日。
みかんがおいしいと思った日がみかんがおいしい日。
そんな感じで毎日をセルフアニバーサリーにしていくことにしてみよう。