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ツマヅキスト
考えすぎ、気にしすぎ、細かい、とよく言われます。
社会で当たり前に受け入れられていることに、なぜか引っ掛かる。
受け流せない。
例えば新年に「明けましておめでとう」と言うこととか。
誕生日にプレゼントを渡すこととか。
赤の他人に「子供の予定は?」と訊かれることとか。
凄惨な事件が起こると「一体なぜ」と書かれることとか。
映画や小説は「泣ける」と宣伝されることとか。
成人したら全ての人がお酒を飲む前提で物事が進むこととか。
ドラマの「仕事ができる人」は大抵「気遣いができない人」であることとか。
特定の動植物は保護され他の動植物は人間に食べられることとか。
まあ、挙げればキリがないのですが…
そういうことに適応できないのは、自分でもなんだか偏狭な気がするし、人間として必要な要素が何か欠けているような気がする。
百歩譲ってそうだとしても、
常識を打ち破る新たな価値観を提示したり、
今ある課題をクリアする先進的なビジネスを展開したり、
世間にない独自の着眼点で芸術に昇華したり、
そんなことができたら良かったのに、と思う。
ところがその意欲もそこまでないし、先進的なセンスもない。
単純に文句が多い人じゃないか……。
そんなことを考えていたら、これは「段差に躓く」ようなものなんだ、と気づいた。
普段歩いているときには段差があっても、
「ここに段差がある!よし!足を持ち上げよう!」と考えなくても、
無意識のうちに段差を跨いでいることがほとんどだと思う。
多くの人が意識せず歩いていける段差に、わたしはいちいち躓いているのだ。
この「段差に躓く」というやつを思いついて、大変気に入ってしまった。
わたしはこれから、ツマヅキストを名乗って生きていこうと思う。
不思議なことに、このネーミングを思いついてから、「躓く」こともそんなに悪くないと思うようになった。
ちょっと厄介だけど、まあ‘ちょっとしたおっちょこちょい’かな、くらい。
ツマヅキスト、やっていこう。
因みにこれ、つまづく、つまずく、どっちがいいんだろう。
字面的にはツマヅキストのほうがバランス良いのかなと思ってますが…。