忘れてく側
わたしはずっと、「覚えてる側」をやってきた。
それこの前も話したじゃん。
なんにも覚えてないんだから。
いろんな人にそういうことをいっぱい言ってきたと思う。
子供の頃からしっかりしてると言われていたし。
舞台の仕事をしているときは尚更。
書類の提出だとか、電話申し込みだとか、段取りだとか、打ち合わせた内容だとか、芝居上の取り決めだとか、ありとあらゆること。
芸術に関して才能を持つ人というのは本当に、細かいことを覚えてない人が多い。
何かにのめりこんだり、それしか考えられないという状態になるには、余計なことは忘れていくしかないんだろうと思う。
むしろ、細かいことを忘れていくのは、芸術家としては一つの必須能力ですらあるのかもしれない。
そんな彼ら彼女らの代わりに、覚えておく人がいることは結構重要だ。
世界には、「覚えてる側」と「忘れてく側」の人間がいるんだ。と思うようになった。
「忘れてく側」が悪いとか劣ってるとかではなくて、ただ役割の違いなんだろう、と思った。
それでも、「覚えてる側」である自分に誇りを持っていた部分もある。
わたしはここ10ヶ月ほど、睡眠導入剤を飲んで寝ている。
眠れないでいると、どんどんマイナスな方向に思考が彷徨ってしまって辛いので、病院で処方してもらっている。
とはいえ一番弱い薬で、効果があるのは2~3時間。
依存性も少ないし、血迷って大量に飲んだところで、眠りこけるだけらしい。
どんな薬にも、副作用がある。
いまは、副作用が出にくい薬がたくさん開発されているけれども、やっぱり絶対に副作用がない、と断言できるものはないようだ。
だから、薬の特性やリスクは患者自身、よく理解しないといけない。
全ての睡眠導入剤に当てはまるかはわからないのだけど、わたしが飲んでいる薬の注意点には、
「一過性の健忘」
とある。
薬を飲んでから眠りにつくまでに時間があいたり、薬が効いている間に起床して活動したりすると、
その間だけ記憶が残っていない、ということが起こる。
たぶんこれも人によって、全然現れないという場合もあれば、深刻だという場合もあると思うけど。
たとえば途中で起きて仕事をする、というときは、服用しないほうがよい。
幸いというか、わたしは生活に著しい不便を感じるような状況にはなっていない。
でも、あったはずのことを、覚えてないのだ。本当に。
寝る前や、寝始めてから夫が帰ってきて一度目が覚めたときに、夫と話した(らしい)ことを、わたしは覚えてない。
2人で話したはずのことが、彼の記憶の中にはあって、わたしの記憶の中にはない。
言われれば思い出すこともあれば、どうやっても思い出せないこともある。
まあ、せいぜい次の日の予定とか、テレビの録画しといてとか、そんな程度の話なんだけど。
でも、
「その話って昨日したよね…?」
と言われると、責められているわけでは決してないのに、なぜか少しショックだ。
わたし、「忘れてく側」だ。
わたしの記憶、どこに行ってしまったんだ。
過ごしたはずの時間が、なんでわたしの中では無いことになってるんだ。
これは一過性で、薬が効いている間だけの話。
原因も明確にわかっている。
でも、なんの説明もなく、ある日突然これが一日中起こったら、どんなに怖いだろう。
どんなに寂しいだろう。
「忘れてく」をコンテンツとして扱うフィクションが溢れる社会を見るにつけ、そんな想像もする。
急に「忘れてく側」をやってみて、自分が忘れてるのだと知らされた時の、どうしようもなさを知った。
だって、本当に、覚えてないんだもの。
覚えてなかったことを覆すことはできないんだもの。
こんなふうに、あっち側とこっち側を行き来するものなのか、生きていくってのは。
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