「牛タン駅弁3000円」
《Ⅰ》
1枚… …2枚… …
顔を札束から逸らすともう夕方で、札のタワーには影が宿っていた。
電気ヒーターの色に染まってしまった縦に聳える札束はタワーにする為になるべく5千円や1万円を崩すようにしている。
カーテンレールに吊るされた服を見ながらアイコスのボタンを長押しする。
1口… …2口… …
甘い匂いが部屋に広がっていく。
本当は紙煙草の方が好きだけど最近の客は男でさえ紙の匂いを気にするから電子に変えた。相手をする時にちょっとでも不快な思いをさせると次がなくなってしまう。
最近は居酒屋とかでも下手したらパチンコ店でも紙煙草が吸えなくなっている。ちょっと厳し過ぎやしないかと感じるしただでさえ肩身が狭い思いをしていたのに更に苦しくなった。なんか最近そういうのが一気に増えた気がする。
物の値段すべてが高騰した。だから私達若者は気軽に居酒屋に入れなくなった。だから駅前や公園で缶酒を楽しんでいたのに国が路上飲酒を注意するようになった。だからもう自宅で飲むしかなくなったけど今度は神経質な都会の隣人や住人が警察に通報するようになった。カラオケに行けば満室で、私達若者はじゃあラブホテルでしか声を出すことを許されないとでもいうのだろうか。
テーブルに、まだ重ねていない千円札が2枚ある。
何を成し遂げたのかよくわからない新札のおっさんが私を睨んでいる。その1枚が風で股間あたりに着地する。
私はLINEはすべて無視をしてインスタとXを開きダイレクトメッセージを一つずつ丁寧に返していく。
《Ⅱ》
SEIYUが過ぎ高円寺が過ぎ中野も過ぎていく。
昨日の夜に作成したプレイリストは我ながら良い流れや渦をつくっていると感じる。
少し早めの時間に新宿駅に着いた時は散歩で時間を潰す。新大久保には入っていかずに曲がり淀川を目指す。東口から出るのがこの暇潰しのコツ。
人生で初めて新宿駅に降りた時は驚いた。
人の多さは当たり前にびっくりしたのだがお店の多さとお金持ちの多さに慄いた。
みんな何をしたらそんなに高価な時計を身につけることができるのだろう。何回客にヘコヘコすればそんな豪華な身なりになるのだろう。私の地元は超田舎だったからそんな人いなかったしそんな人はまず浮いてしまう。
東京は天国だ。金と欲望にまみれた奴隷天国。でもそんな天国にも脳と体は慣れる。そしたら今度はないものねだりが始まり難癖つけまつげ。結局人なんて揚げ足取り人間コンテスト。
花火大会の花火や出店に感動するものの帰りの混雑を予期して若干萎えるみたいな。実は誰もがそんな感じなんだと思う。
東口の馬鹿デカい電子広告を見ながらアイコスのボタンを押す。プレイリストはもう終わっている。だから次に「歌舞伎町の女王」を流す。
それにしても新宿にはもう日本人がいない。外国の人だらけでいつからこんな東京になったのだろう。いつから円安に突入したんだろう。いつ間に総理が変わったのだろう。いつの間にあの声優が亡くなったのだろう。いつの間にあの漫画家とあの俳優が亡くなったのだろう。
なんだか最近誰かのストーリーを覗けるようになり過ぎている。自分の生活で手一杯の癖にまだ他人の芝生が青く見えるとでもいうのだろうか。
1プッシュ… …2プッシュ… …
アイコスの充電が無い。本当は私、紙を吸いたい。
《Ⅲ》
1時間くらい歩いた。『ねえみんな大好きだよ』を聴いて気合いを入れた。ワイヤレスイヤフォンを凹みに嵌め込み、いつもの定位置に立つ。
まあまあ居る。居るけどやっぱこの時期は寒過ぎる。早く声かけてほしい。
スカート寒過ぎる。ああもう煙草吸いたい。紙のやつ吸いたい。さっさと済ましてお札を触りたい。あのザラっこい特別製の紙。あれを触るとアレを触った時のきもい感触が全部ちゃらになるから。
歩いている時はマシだったけど足指がカチコチになってきた。動いている時より止まってる時の方がしんどい。S○Xと同じ。
外国の人が不思議そうに私の顔を見ている。いやアンタの頭についてるそのネズミの耳もだいぶ変だよ。
ダイレクトメッセージを確認する。今日は22時まで立っている予定でリーマンとかが居酒屋から出てくるのが21時くらいだからでもこれで捕まらなかったら今順調なマサノリさんかタカシさんに入れてもらおう。それでもダメならアサちゃん家のパーティーか最悪クラブ… …
まぁ文面見る限りタカシさんは有り、マサノリさんは若干渋ってる感じ。
「あの、すいません。ここで何をやられてるんですか?」
スマホスタンドの先のレンズが私に向けられていた。そのレンズをまるで盾にするかのように後ろの男はニタニタ笑っている。多分、おそらくユーチューバーだろう。
「なぜあなたに答える必要があるのですか?」
男は尚もニタニタを続け、だが、スタンドを握っていない手にはお札が握られておりそれが画面に映らないように私の手まで持ってきている。
ギャラというわけか。私は画面に入らないようにバッグにしまい髪を耳にかけゆっくり深呼吸する。
1回… …2回… …
「友達と待ち合わせです」
男は次に私の服装を見て「今11月ですよ」と言った。
「11月にスカート履いちゃいけない法律でもあるんですかね?そんな法律聞いたことないですけど」
私はすでにこの男が私のなにを知りたいか理解していた。ただこんなぽっちの金じゃあ… …。
「最近ここらへんで事件が起きたの知ってますか?」
「知ってますよ。日本じゃ毎日なにかしらの事件が起きているので」
「僕はそんな事件からあなたのような女性を守りたいんです」
「わかりました。待ち合わせ場所変えます。気をつけます。ありがとうございました」
男は焦りながらポケットに手をつっこむ。だが次のお札が出てこない。
ここまでか。たく値踏みとかしやがって。
つーかなんかもうめんどい。つーか寒い。今日はもうここから離れて作戦を練り直そう。
突然だった。女の悲鳴だった。慌てて声の方を向くと両手を口にあてる女がこちらを見ていた。男が包丁を持っている。
え、マジ?
嘘でしょ?
私、死ぬの今から?
こんなしょうもないクソユーチューバーに殺されるの?
「お、お前がいけないんだ。お、俺は金を払った。なのに一向に本当のことを話してくれない。こ、こ、これが今の日本だ。俺は税金を納めている。毎日毎日働いてきついのに、なのに一向に幸せになれない。お前もこの国みたいに俺をコケにするのか?なあ、い、い、良いよな女は簡単に金稼げて。ち○こしゃぶるだけでさ、お前は奴隷だ。この国の雌奴隷だ。お前は今の日本そのものだ。俺はコロナで全てを失った。でも頑張って頑張った。でも一向に幸せになれないのはなぜなんだ!なあ誰か答えてくれよ!」
男が次の瞬間目をひん剥き自分の喉に刃先を突き刺した。血があちこちに飛び散る。男は喋り続けているが排水溝が詰まったような音しか出せていない。
私はなぜか狂った男の現状よりも地面に落ちたスマホ画面が気になっていた。
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その画面はインカメになっていて私の顔が鏡のように映っていた。私はこの1という数字に何か言おうとしていた。だけど、何一つ言葉が浮かんでこなかった。
1枚… …2枚… …3枚… …と、血まみれのお札が誰かの靴に踏み潰されていく。