web古地図散歩 江戸の水路跡 築地編2
当舎が町歩きイベントとして開催している「古地図散歩に行こう!」をweb上に再現しました。約5キロを3時間ほどかけてお客様に実際に案内している内容を再現したものです。1~5回のうち、1回目だけ無料でお読みいただけます。2回目以降は有料でのご購読となります。2~5回はそれぞれ180円、1~5すべてと配付資料が載っているマガジンは600円です。
今も石垣
現在は高速道路になっている築地川ですが、そこはもともと川ですからその名残があります。例えばここから対岸にあたる側壁を見てください。白いパイプのようなものが縦に取り付けられていますが、その右と左では側壁の形がちがいますよね。左側はコンクリートブロックみたいなのに対して、右側は石のように見えます。あれはここが川だったころの、護岸の石垣が残っているのです。
橋の上に行けば、欄干にある隙間からもっと近くに見ることができます。この橋は亀井橋といいます。江戸時代の地図を見ると、ここには橋は描いてありません。明治5年(1972)にこの対岸の銀座一帯で大火事がありまして、その後の復興事業でここに橋が架けられたのです。そのときに橋の南側に元津和野藩主の亀井伯爵の屋敷があったので、亀井橋と名前が付けられたんです。
亀井橋を渡って、築地側沿いに右に進みます。江戸時代の地図にはこの川の対岸に「■松平土佐守」と描いてありますが、これは土佐の山内家です。山内一豊から始まって、幕末には山内容堂が出た大名ですね。有力な大名だったので、幕府から松平姓を与えられていました。ここは中屋敷で、日ごろお殿様が住んでいた上屋敷は丸の内、今の東京国際フォーラムの辺りにありました。
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