ガリガリ君の当たり棒
先日、気まぐれでガリガリ君を食べたところ、当たりが出た。ガリガリ君はたまに食べる程度だが、当たりが出たのなんて本当に久しぶりだった。こんな感じだったっけか。最後に当たったのはいつだろうか。覚えていないが初めてではないような気がする。
その場で交換しても良かったのだが、さすがに一度に2本も食べるのはもったいなく思い、水気を飛ばすと無造作にポケットに入れた。
それから数日が経ち、俺はまだ当たり棒を持っている。交換する機会は沢山あったが、その度に「今じゃないな」と思いとどまり、気づけば数日が経った。決して忘れている訳ではなく、むしろ出かける度に忘れず当たり棒を携帯していた。
当たり棒を忍ばせて歩く街は、なんて楽しいんだろうか。いつでもコンビニに立ち寄れば、ガリガリ君を食べることができる。俺にはガリガリ君の当たり棒がある。そのことがとても誇らしく、清々しく感じる。
たかだか80円程度(調べたら今年値上げしていた)の氷菓、買おうと思えば買える。でも買わないことがほとんどだ。しかし、ガリガリ君の当たり棒を手にした者は、確実にどこかの未来でガリガリ君を食べることが約束されている。不透明で不確定な未来のなかで、この事実だけが北極星のように輝いている。
当たりを入れ続けてくれる赤城乳業、当たり前のようにガリガリ君を置いてくれているコンビニやスーパー、ありがとう。この世はロクでもないことばかりではなく、社会には善意がある。この世界に生きていこうという気になる。
調べたら当たり棒は洗ってラップにくるんで、さっさと交換しろとのことだ。今度の暑い日に、交換しに行こうと思う。
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