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LONG SEASON


OTODAMA'24のフィッシュマンズの余韻を思い出しては、不思議な感覚でいる。

10何年溜めに溜めた負債が元で、3月にめでたく病院でうつですねと診断された。それからもまあ色々あったが、薬を飲み始めて1番効果が出たと実感しているのは、音楽聴けるようになって本が読めるようになってきたことだ。

この一年半ほど、音楽も映画も本も演劇もどこか没頭できない感覚が常にあって昔の記憶と経験でその差を意識的に埋めていた。
加齢による体力の衰えと飽きからくるものかな、と思っていたが、やっぱり脳のバグだったのかもしれない。
薬によるデバフでこの感覚が回復したのは、正直救い以外の何者でもなかった。希死念慮や諦念感は深まったものの、この感覚が取り戻せたのは大きい。

それを強く感じたのがOTODAMAだった。
不謹慎を具現化したような悪友が「鬱にピッタリやろ」と勧めてきた出演陣は、ネバヤン奥田民生くるりフィッシュマンズ…、とまあその通りのメンツだった。

まあそこまでは生きるか、と思って行くと即答して取ったチケットだったが、当日案の定朝起きれず危うくキャンセルするところだった。
悪友は鬱の扱いには慣れたもんで「先行ってます」の一言で済んだが、ベッドの上でうんうん思案してなんとか行くことを決めた自分は本当に正しかった。

着いてすぐ、晴天の下のネバヤンを聞いた時、音も歌詞も世界も何もかもクリアに自分の中に入ってきた。ああこれだ、と思った。

胸のざわつきもない、たらればの可能性を思い返してどこか悲壮感を感じることもない。今のこの体験をそのまま受け止められる感覚に、少し元気になったことを感じた。

清水ミチコでケラケラ笑って、奥田民生を聴きながら焼きそばを食べ、岸田繁を腐しながらもくるりを聞いた後、少し日がが沈みかけ空に薄い雲がかかってくるようになってようやくフィッシュマンズの出番が来た。

生でフィッシュマンズを聴くのは初めてだった。
それこそサトちゃんなんかとっくに亡くなってから聞き始めた人間だが、映画を見てから一度生で聞かないと、と思ってそのままだった。

オリジナルメンバーもほぼ揃って、リハが始まり、クオリティの高い音響とサウンドにワクワクは増した。
何をやるんだろう、ひこうきなんかやってくれたら映えるだろうなあ。アレンジはどんなんだろう。なるべく前の方にポジションを置いて、本番を待った。

そうやって始まったのが「LONG SEASON」だった。
はじまってすぐ、え?と思ったがまさかねと言う思いが消せず、10分くらい経ったころに少し覚悟し始め、メンバーのソロが始まった時には天を仰いだ。

夕日が落ち始めて色づく空を見上げながら、40分フィッシュマンズの音を感じていた。
まさかフェスで「LONG SEASON」一本勝負を聞くとは思っていなくて、もうそのあとはコーネリアスを聞く元気もなくて悪友2人でゼエゼエ言ってバスに乗り込んで帰ってきた。

えらいもんを聞いた、と言う感覚を共有しながら

「いや私生まれて初めて生で聞いたフィッシュマンズがLONG SEASONになっちゃったよ」

と言うと

「それが最初で最後になるのはいくらなんでもだから生きてもう一回聞かないとやね」

と悪友が言った。

似たような言葉はこの数ヶ月何回もいろんな人間から言われた。その度にそうだねえ、と言いながら昔ほど自分に響いてないのを感じては嫌になった。

だというのに、特段感傷的でも何でもないこの言葉に、ここ最近で1番素直に「本当にそうだねえ」と心の底から思った。

あーまた同じことを繰り返しながら生きていくのか。
とずーっと思っていた。今も思っている。
これからも変わらないかもしれない。
でもまたあの音楽を聴きたいなと思う。
誰かにわかってもらえなくても、1人でも、また聞けたらいいな、と思う。付き合ってくれる誰かはきっとその時いるだろうとも思う。

べつにOTODAMAに行ったからちょっと上向きになったわけではないと思う。自分の考え方や癖が完全には治らなくても、何とかここまで回復するくらいにはやっぱ薬ってすげ〜なという話な気がする。

なんでもないくだらない感傷だけど、それでもあの時あの場所で、あの音楽を感じれたことは本当によかった。

ワンマン、あったら行くか〜向こうもこっちも生きてるうちに行かないとね。

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