いつの日かの私
今日はたまたまiPhoneのメモに書いていたいつの日かの私の気持ちを。
いざ読み返すと今となっては違う気持ちになっているのだけれどなんだかこの頃の自分が可愛らしく感じたので記録に残しておこうと。
家族よりもどんなに身近にいた恋人もある日からそんな日々もなかったかのように遠い存在になってまるで敵のように、嫌な相手あのように変化した。
分かり合いたい相手であったのに理解の範疇を超えて接してくる相手の態度に
私はどうしたらいいのかわからなかった。
別れを告げられたあの日のこと、あの日の気持ち
時間が経てば経つほどあの時感じた思いは変化していき、
もう思い出せないのである。
恋人と過ごした時間をうまく思い出せない、3年も一緒にいたのに。
だから何かあの日々のことを形に残したい、そう思った。
彼が笑った時にくしゃっとなる顔、名前を呼ぶ声、抱きしめてくれる時の肌の感触
それは今いる恋人によって塗り替えられていく。
生涯この人といたいという気持ちによくなるのだけれどそれもひどく嘘っぱちのように感じる。
よく彼は言っていた1人の時間が欲しいと
2人でいても私はよく孤独を感じているのにこの人は感じないのだろうか、
窮屈なのだろうか。
あの部屋は私にとってシェルターのようなものであった。
早く帰りたい、あの部屋のあのベッドで眠りたい。
2人で作った、2人で過ごしたあの部屋は私にとって居心地の良いものだった。
よく恋愛体質だねなんて言われるけれどそんな単純なものではなくて、私にとっての恋人に求めるそれは家族の域なんて越してもっと自分を知ってほしい、相手のことを知りたい感じていることも考えていることも全て共有したいというおぞましいものなのであるでもそんなことに耐えられる人はいるのだろうか。
25歳にもなってくると結婚というものがかなり現実味を帯びてきて、
人とそんなに簡単に付き合えなくなる。(私だけ?)
付き合うにあたって、誰かの恋人になるにあたってそれを見据えた責任が伴ってくる気がしてくるのだ。ただ好きなだけでは済まされなくて、この人と結婚してどこに住んでどんな仕事をして、いつ子どもが生まれて、なんて。誰にもわからない未来のことを一気に想像しなければならない。
もし、1人だったら。そんな人がいなくてそんなことも考えなくてもよかったら。
留学して、お金も時間も自分だけの為に使って。
自分だけの居心地の良い家で暮らして生活するのに困らない程度のお金を稼いで。
そんな事ができたらいいのに。
でも今まではそういうふうに生きてきたのだ。
これからも特に何もなければそういう風に生きていくのだろうか。
悲しみという存在が自分にとってはもうそれなのかさえ分からなくなって、
ちっとも悲しくない気がしてきてしまう。そんな感覚に陥った。
もっと泣きたいのにもっと悲しみを感じたいのにどうしてもただぼーっとして
時間が過ぎてしまう。
どこを歩いても思い出だらけで21-24歳を共に過ごした時間は自分にとっては
長過ぎて。
何をしていても彼を思い出してしまう。
いかがでしょうか。(笑)
今じゃもう彼を頻繁に思い出すことはなくなって別のことを考える時間が多くなって、たまに思い出すけど悲しい気持ちはそこにはなくて思い出となっている。
ひとつだけ感じることはほとんどのことは時間が解決してくれるのではないかなと
思う。悲しい気持ちとかどうにかしようと行動した自分が絶対にいるのだけど。
なんだか感傷に浸るような記事になりましたが今日も元気におやすみなさい。