「何でも得ていこう」と物事の向き合い方
本やそれ以外の動画、映像作品でもいいのだが、何かコンテンツを見るに当たって、どういう姿勢でいるべきかというのは、やはり直面してしまう問題だ。
得られるものを何でも得ていこう。
成長へのモチベーションがある時はそうなるし、逆に疲れた時は何も考えないことを求め、楽しむことや力を抜くことを重視するであろう。
そうであるならばまだいい方だと思う。
何でも得ていこう。は聞こえがいいが問題点もあるように思う。
それは、モチベーションが無い時に行為そのものを辞めてしまうこと。
別に休息を取るなという訳ではない。モチベーションがある時にしか行動できなくなる点が問題なのだ。
休息を取ることは大事だ。オンオフの切り替えができている証拠である。
何でも得ていこう。が気を抜いた物であるなら話は別だが、少しハイな状態に近ければ注意すべきだ。人間、精神を常に保てるほどよくできてはない。
始まるきっかけがハイの状態で生まれた何でも得ていこうならば、負荷のある物事を進める時にその何でも得ていこうな気持ちが求められる。
そして今はまだその気持ちでないから始めない。みたいな休息が長引く。
そうなれば、身体が休まっても、負荷のある物事をやらない自分に対する自己嫌悪に落ちいり、次第に心の体力が無くなっていく。
何かトリガーを引かない限りはやり直せない無気力人に陥っていくのだ。
かく言う私も、物事への立ち向かい方というのを今一度考え直している最中だ。
ハイから生まれた爆発的な欲求はダメとも言えない。それは起爆剤にもなり得るし、先程の無気力状態回復のトリガーにもなり得る。
しかし、ずっと続くものではないことも確かだ。
であるから、自分に適した永続的な物事の向き合い方というのをいずれ見つけ出す必要はあるだろう。
それは各々に合ったものがきっとあるはずだ。
今ハイな気持ちでいる人の気分を害したかもしれない。だが、そのような目的で書いている訳ではないと述べておこう。
僕自身人生は全て過程であるという心持ちで生きている。
そのため、自分の意見が限りなく真に正しいものであると感じても、それらはまだまだ洗練され得るものであるとも考えている。
物事への向き合い方は日々アップデートされる。それに過ぎない。
それが持続可能な何でも得ていこうの精神であると、直感的にそう感じている。
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