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自分を生きる。 どれだけ強い思いでいても
その「自分」を定義するものが、 外にあるなら
自分を生きているようでいて
その自分は、 外次第に

自分を貫くその軸は、 外にあるなにかへと
軸の置き換え、 そうとは思わず、 起こっていること
それが前提の状態になると
それがあたりまえになること

軸のさらに中心に、 細かく伸びる脊髄みたい
脊髄自体や、 骨髄液が
自分自身のものなのか
外部からのものなのか
気づくともう、 その見極めが、 つかなくなるくらい

それはあたりまえに
いくらでも
自分の中心、 中心に細く伸びるその軸を
貫くものの、 置き換わり、 乗っ取りが
いつでも、 どのときにも、 起こりうる

それがいいわるいのはなしでなく、
その中心の さらなる中心
細く貫き、 そこから生命が維持されて
自分を活かし自分を生きる、 行動、 活動へと向かう
動力の源でもある、 その軸が

自分の魂ではなく、 エゴによる外への結びつきで維持保持されているとき
外側での変動、 不測の事態、 供給の突然の停止の起こりが
ときどきの大雪のめずらしさ、めったになさからいまは
夏場のスコールくらいの頻度で起こるいまこれから

それを受け呼応する、 軸から生じるゆらぎも同じに波状となり
すっとまっすぐぶれのない感覚が
船酔いみたい、 ぎっくり腰みたいに、 失われてしまう

そのときのパニックが、 自覚的パニックをよび
あせりとなって、 よりぐらぐらが増してしまう

なにを書いているのかというと
いったんそういう状態に陥ってしまうと
なかなかすっとしゃきっと、 自分自身の透明な軸を
取り戻し、 立て直すことが、 どんどんと困難になり

そこに時間エネルギーをとられることが増えることになったりするかもしれない
その大変さを思うと、 自分を生きる、 その道をゆくそのときどきに
いま時点での自分の軸を貫くものが、 どこからのものなのか
それをひたして満たす骨髄液は、 なんなのか
その見極め、 確認を

んっ?と何かすこしでも、 ゆらぎ、 違和感、 ずれ、 不一致を感じるときは
とにかくすべてをストップし
行動へ向かう、 その前に、 向かわせるその大元にあるものは
ひとつのこたえ、違わないことか
選択の幻想による、 違うこと、 欲望によるものなのか
立ち止まり、
旅行後、 体重計に乗るときの、 現実をしかと受け取る、 覚悟をもって
あるままのはだかになって、 示される数字をみつめる、 そのかんじ

そうすれば、 どうしたって、
増えたか、 減ったか、 変わらないかは
どうしたって、 わかるから

見ないふり、 わからないふり、 シンプルのおおごと化に気をつける

ただ見るだけ、 その大元を、 わかろうとするだけのなのに
どうしてもわからない、 わかること、 難しいとなるときは
それを見たくない、 気づかせたくないどこからかの働きが
いま見るべきところから、 こちらですと帽子を見せて
白い鳩を取り出すように、 その視点の移行に気づかれることなく
記憶にもとずく期待やドラマへ
ぱっと瞬間、 意識の向き先、 その焦点を、 巧みにずらす
そういったマジックを、 みんな骨身に身につけていることの
自覚がないと、 瞬間に、 簡単に、 なにがなんだか、 混じってしまう

髪の毛一本の道をゆく難しさ
そこで求められるもの、 試されるもの、 都度いろいろでも

そもそもの軸の真ん中にあるものが、 自分でないなら
その道をゆくための対峙、 必要として、 突きつけられるのは
何を見るか、 選ぶのかより、 どう行動するかよりも
その元の元、 起点となる思い、 設定ともいえる、 その大元

大元の、 確認を
動機や動力が魂からであることを前提として
直感や衝動をもとに行動で押しきっていくとき
そこで生じる現れに、 意図との不一致、 ずれがあれば
自分を疑うことに なってしまいかねない

疑うよりも、 ただ見る、 ただわかろうとする
自分への疑い、 不信は
自分自身のほんとうに戻るとき
磁石の反発の作用しかうまない

ただ真摯に、 胸にもどり、 そこからただ わかろうとする
ひとつの答えの入り口にもどるのは
自分への信頼あってで
信頼どころかの、 あるままの真実が
いつだって、 かならずに
どのときも、 胸にある

それをただ、 わかろうとする

それは夜の街で星を探すよりもはるかに簡単
太陽よりも確実に、 昼夜問わず、 存在し
それに触れ、 それを見ることができる

その、 真の中心に、 そこに、 目を

そこにある、 ひとつの答えを
わかるように、 みんなできている

その響き、 味わうように、 香るままに
あたりまえに


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