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投票先の最大基準はいつだって、 誰を選ぶか=死ぬ人の数
もうずっとそうだった

誰を選べば、 死ぬ人が減るか
誰だったら、 死ぬ人が増えるか

以前だったら何を極端なと思われてもなこの最大基準は
この数年を思い返せば どれほどそれが命に直結しているか
誰であっても 悲しくも数字からも それをわかる

その現れの最たるは、 ここ大阪  今年なら、 能登半島での震災
震災直後の驚愕の対応から、 今日まで進まぬ復興下、 先日の豪雨によって
さらなる命と ひとの暮らしの土台となるもの 失われ 壊される

誰を選べば 死ぬ人が減るか
それを前提であり投票行為の基準にすることが 何より悲しいことであることを 国政の選挙があるたびに いつも思う

年々顕著に それが如実に 社会に、 命に直結するのを
苦しく悔しく悲しくもどかしく 現実につきつけられる こと大阪にいて
今回の選挙 その基準を、 ばーん! とわたしは 大きく変えることにした

これまでの基準は変わらずに、 前提に置いてはいても
いざ票を投じる際 これまでは ひたすらの祈りだったのが
今回は ひとが死なないようにと違う 新たな思いで 自分の一票を
今回は 全体へのではなく 自分へ向けてにすることを 今日決めた

一票を自分へ向けること そこにある、 新たな思い 新たな基準

死ぬ人の数ではなく

今日決めたのは

幸せを感じ 笑顔になるひとの数

わたしには それこそ非現実的な 花畑に思えた基準

まずその花を 自分に咲かす それを決めた

それしか戦えないのだと
それがいま 個々ができうる 抵抗運動でもあるのだと


この惨憺たる社会に世界
ガザで行われるジェノサイド止められないどころかレバノンへ殺戮は広がり
日本では、 この国にいるひとみんなの暮らしをよくしようという意思のない
対米従属に徹しながらの 既得権益での生きながらえしかその目にないで
復興が急がれる能登に珠洲、 放置するにあきたらずの解散総選挙

パレスチナも日本もウクライナも同じ
レアメタルの採掘であばら骨が見えるよう そうして血肉は毒に侵され
ぼろぼろになる鉱山みたい そうして食い散らかされ食べるとこ吸うところ
なくなれば 花見や花火後の散乱ゴミみたい 無責任に捨て置かれる

そのとき そのなかで わたしたちができる抵抗は 笑顔なのだと

笑顔をもつこと 幸せを生きること
そもそもその思いがうまれなくなるくらいの惨憺を 彼らは全てにちりばめ
ゆきわたらして あきらめと絶望に ひとの心をひたし続けることにより
ひとの現実を固定する そのためにの必要で、 有効が 戦争に、 貧困に、
暴力に、 差別であるとき それは、 それも現実のうちにあっても
それはひとりひとりの真実なんかじゃないことを いまわからなきゃ
わからなきゃ そうだとしてもの真実を ひとは生きることできないまま
真実のない彼らの勝手な都合に 自分の人生と時間と命を使われてしまう

いま自分が 幸せに生きるにはを考えて 全体に関わる一票を
何かに、 誰かに 託すのでなく 自分がそれを生きるものとして
ひとを選び 票を投じる  その大切な日

どうかみんな  自分を大切にの思いを 幸せに生きるをとうぜんに胸に
もって 大切な 自分の みんなにとっての 一票を


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