祈り
生まれたときから引っ越し続きで 渡り鳥のようにいたなかで
福岡から佐世保に渡ったのをさかいに
夏はただ夏だったのが 無知が自覚へと変わる
小学校に入って二度目の夏休み、 特別の授業があるからと
休み気分のまま学校へゆくと 向かったのは視聴覚室で
そこで原爆投下の映画(アニメ)をみんなで観て
上映が終わったあと そのときの窓から見えた空の青さが
なんでなのかもうずっと 原爆投下の日が近づくと
目の内側 浮かぶ入道雲の様子と、 轟く蝉の声とともに再生される
大人になって 父の実家である長崎へ 法事のため家族で帰省したとき
長崎原爆資料館 へ寄った。 館内の展示は 原爆と戦争の悲惨さを窺い知る
こと、 充分をこえる重みをもって 硬直するよう、 そこにあり
けれど、 それ以上に衝撃だったのは 地下にある、 平和祈念館 での体験
それは、 小学生のときに感じた現実認識と同じ もうずっと忘れえない
惨事への、 直接的な知覚があった
祈りの場へ進む前、 そこには並ぶように立つ 無数のひとがいるのをわかる
祈り始めておきたのは 間髪なく降り注ぐ黒い雨 包まれる雨音とうめき声
うめく声が訴えるものは ひたすらの、 喉の渇きで
あとに地上に出てみたら、 平和公園には噴水や水路、 水場がたくさん
設けられていた みんなそのときからいまも 水が欲しいと 訴えている
どれだけ喉が渇いても 飲んではいけない水しかない だれひとりどうしよ
うもない事態が ひとの意思と手によって行われ 今年の夏 その決定を
下した国は ひとの暮らしと命と尊厳を 武力と悪意でずたずたにしている
国への忖度を理由に 記念式典への参列を これみよがしにキャンセルした
いまガザは食料の問題、 危機的状況であるけれど
その前からも続くのは 水の供給 で
ひとのからだは水と菌がほぼであるなら その菌もまた水なくしてはで
体は乗り物と言うけれど 乗り物をつくるその水はまた
量子単位で舞う情報を どの物質よりも吸収するものでもあるとき
わたしは正直な思いとしては 恒久の全体の平和を願う式典に
アメリカを始め、 欠席を表明したあとの国 いたはらないで よかったと
大切な祈りの場 そうして保たれるほうが ぜんぜんいいと そう思った
広島も わたしは 入れていけなかったと でも思えば
わたしは安倍さんも、 菅さんのときも 彼らは入っちゃいけないと思ってた
それでいけば 国でもない それ以上に、 個々であり
なんでそこにいるのかで
喉の渇きをうるおせるものは ひとの透明な祈りなら
少しであっても 一滴であっても
距離をこえ いま、 わたしができることは
濁りのない祈りから いま自分をあることで
濁りは自分に向くとうまれる
祈りはまったく簡単じゃない
簡単じゃないぶん 努力がいる
自分を澄ましてゆく努力
その努力とは意識
その意識 もう関係ないではいられない ときにきている。