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リアリティ
自分のことを書いた 投稿 (懺悔) を読んでくださったかたから
メールやメッセージやお声かけをいただいて、
ありがたいおもいと申し訳なさ同じ重さでゆらゆらと拮抗する天秤がいつか
ばきっと折れそうな思いになるも やっぱりただただ ありがたさがまさる
その便りのうち、 わたしに怒りを感じたことがあるというメッセージがあっ
た。 それはわたしの読書体験の投稿を読まれたときとあったから、 なんの
本だろうかと自分の過去の投稿をしらべたら、 梨木香歩さんの三部作である
のをわかった。 そうしたら、 そのひとの思いが それを書いたときの自分
の状況、状態と まるでひとつに重なるかのように 互いそれは過去のもの
でありながら 時間を超えた共有が起きる
私の書くものに怒りを思ったそのひとのそのときかかえられていたものを
そのときわたしは同じようにかかえていた そののしかかりのもとで
自分の無力さを受け入れることが同時に必要となることのはてしなさ
でもそれに押しつぶされるまでにはいかないでつづく忍耐の継続に
そのときわたしは こころは 父の死で落としたまぶいは戻ったはずに
思っていた魂は ふたたびこの世界に参加するのを選んでいながら
どこかでは ここにはないほんとうを それをまだ 見えないところに
求めていたと 加藤さんの展示の日記を きっかけ に読んだ 『家守綺譚』
その夢の場面での 主人公綿貫氏の選択に わたしは氷水を頭からかけられ
るみたい 心底のひやっとの生じを 自分自身に感じることで それに気づ
いた その気づきのおかげ 主人公と同じに 命びろいをしたのをわかった
(以下、本の内容が含まれます)
そのときのわたしは ぶどうは食べちゃいけない それは誘いであり逃げで
ぶどうを口にすることで 目をつぶり、 自分が見たいほんとうだけを見ることを選ばない 選んじゃいけない 自分がいる場所へもどり いま自分ができることを いまこの場所で尽くしてこそ 生きるということに思った
漫画『ナウシカ』 も ほんとうの森をみて そして戻ることを選んだように
戻ること そこで自分を生きること
それが個としての責任であり必要で それが答えであると思った
でも年始め そこに答えを見て生きてきた 自分がしてきたことの全否定
(自分の魂を生きていないでひとの魂を奪うことをしていた) を受けて
それをまるっと自分に自覚することができたとき そうしていただいた
怒りを思ったという便りの届きに いままた家守綺譚を読み返してみると
そのときは、 ぶどうを食べずにすんだ気づきへの感謝の思いであったのが
いまのこのたびにあるものは そのとき同時にわたしを救ってくれたのは
ぶどうのシーンよりも それ以外の主人公の日常であったと その日常を
わたしは自分に許していないで かかえるものの重たさのほう そっちに
いちばんの現実を見ていたと だからぶどうへ引き寄せられていたのだと
あらたな角度からの見方がうまれた
どっちかではなかった だからといって どっちもでもない
大事なのは そのどちらであっても そのこころは そのところが
閉じているか 開いているか そっちのほう そここそが 要だった
家守綺譚 つづく二冊にあったのも そのところ
そのところあれば 何を志向していようが そのときの自分の意識がどうで
あっても そのところからあれば 世界に線引きは起こり得ない
苦しく忍びない世界や社会の現実と 自分の内なる目で見る世界
漫画のナウシカも 再生した森と 腐海の森は 地続きの場にあるように
どこにあっても 何を目にしていても 自分がどんな状態や事態にあっても
そのとき自分は どこからあるか そここそが そこだけが それこそが
なによりもの現実であることを
映画 『テネット』 ニールの言った 「リアリティ」
その言葉にある意味が 繰り返し映画を見返したときよりもはっきりと
いまほんとうに 自分にとってのリアリティとは ここにしかないのだと
それが 映画のように 大きく未来を変える可能性をもひめているのだと
真の現実に自分をひらき導かれる 綿貫氏の見る世界に
わたしはそのとき いまもまた救われる そうしたいま 自分の目の前も
連日驚きに満ちていること そのことを感じ生きることを 自分にゆるせる
ようになったいまに そこからいまを生きれること その巨大な感謝
自分の魂を生きていないとゆってくれたそのひとに そのときは怒りを
いまはそれをまったく感じていないのだけどと、 便りをくれたそのひとに
あらためての、 深い感謝を おなじ大切を持ちあい生きれることの喜びを
あらためて そのあらためてがいまにある すべてに 尽きない感謝を