
緑色の壁
赤木俊夫さんの命日。 書き換えの指示に関係しているひとは
今日をどんな思いで迎えて どんな気持ちで過ごすのか
どこを探しても売り切ればかりで、 ようやくコンビニで見つけた週刊文春
その号掲載されている、 赤木さんの手記と遺書、 読もうとしたら
どうにも、 数行も読めなくて 部屋ではよう読めない気持ちがなぜか
後にも先にも、 このときだけおこり 誰かがいる場所なら読める気がして
そのとき浮かんだのは星霜で 文春をかばんに入れて、 お店へむかう
お店はお客さんわたしひとりで 店主さんはいつもコーヒーに集中をされて
いるから、 周りを気にせずに、 でもひとりでなく、 部屋では読めなかった
赤木さんの遺書が、 そのまま写真の画像としてのせられた、 ページを開く
きっとわたしは異様な空気を、 読んでいるあいだじゅう発していた
涙も流して でもそれを気にならなかったのは、 自分のこの涙なんて
書かれた言葉と赤木さんの思いからすれば どんなにか薄く思えるからで
ふだん生きていたらうまれえないような苦しみを、 赤木さんはかかえてその
ときをあられたのだと それを強いた、 それをないものにしたひとたちは
いまどんな思いでいるのだろうかと、 そのとき思ったその思いと、 今日の
思いは、 同じまま 変わりようがないままに、 何も変わらないままに
赤木さんの命日を、 今年も迎える
まっとうなひとが苦しみ 私利私欲にひたされたひとがのびのびと生きる
この世はすべて そこにいるひとすべての総意と、 個々のありかたによって
どんな現実が現れ出るかは決められる。 決して為政者の采配によって、
この極端に偏向した社会が展開しているわけじゃない
それは赤木さんの死もしかり、 昨日が命日、 入管で苦しみながら亡くなら
れたウィシュマさんも 彼女を死に至らしめたものは 入管の、 人非人な
所業によるものだけじゃない
赤木さんの死を、 悲しい痛ましいことに思いながら 彼を死へ向かわせた
ものはなんであったのか その解明に、 何としてでもと、 ひとの目や心が
強く向かうことはない どうにかなにか、 少しでもの進展をと、 望む思い
はみんなにあっても 動向を、 変わらずに見守り続けてきてはいても、
自分には何もできない その思いが、 今日の日までを作ってる
(その中も、 和田さんの開示請求に対し国の不開示決定は 違法であるとの
判決が出されたと、 何日か前知りました。 これは道を開くすごいこと。 )
それは、 巨大な権力を前に、 赤木さんが感じたれた 絶対的な、 分厚い
コンクリートの壁を みんなも同じに見ているからなら 自分のこぶしで
それを何度、 どんどんとしたところで 壁はなにも少しも、 びくともしな
いどろか 自分の手がただ痛むだけであると、 無意識にも感じるなら
だからその壁 「御免!」 とノックすることすら、 思わないなら
壁はこれからも、 このままのっしりと、 変わらずに立ちはだかり
その奥にある隠されたものはなんなのか 予測以外持ち込めないまま
しんには わかることできないまま 赤木さんがかかえたその苦しみを
わたしたちは日常に分散化させそれを背負い、 同じに苦しみとしてそれを
生きながら、 未来へ引き継ぐかのようにして、 運び続けることになる
共有する、 個々全体の責任を どこで終わらすか
わたしたちができることは それは、 意味のないノックに思えても
それをひとりひとりがあきらめないで 言葉に、 態度に、 意思にかえ
みんなで壁を 打ち砕くことに思う
そうしてわかること そこにあるもの それをみんなが知ることで
しんに 彼の手紙を読むことが、 できるのだと思う
赤木雅子さんが呼びかけられる オンライン署名