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このひと月、 ほぼ毎日顔をあわせていたひとが
昨日はおられないと思ったら、 一昨日の朝に亡くなられたことを知る
わたしもそんなふうにと、 うらやましく思うほど
なんて自然な亡くなられかたなのかと思う旅立ちだった

一昨日の前の日、 ふわっと見たそのひとは、 いつもどおりの様子でいて
オーラもしっかりしていて 誰よりも濃いくらいで  それでもなんで
予兆となるもの わたしは何も感じなかったのかと へんな動揺が起こり
お悔やみの想いよりも前に、 わからなかった、 気づかなかった、 その自分
の意味を見るほうの必要を感じて 最後に見たそのひとの姿を思い出す

一度も言葉を交わしたことはなかったけれど
ものすごく巨大な大切を そのひとの死から受け取る

亡くなられたのはそのひとだけど そのひとをそのひととして区切ることは
できないことをわかった  その場にいつもいるみんな それはわたしも含め
ある部分はわたしもみんなもそのひとであることを 同じ葉の上で生きて
いるアブラムシは 個別ではなく 生きて生まれて死んでをバトンする循環
のなかにひとつとしてあるような そのアブラムシの感覚が こっちの方が
ぜんぜんにほんとうだと そう思った


父とサンさんの命日が近い

毎年この日と、12月の父の誕生日 その何週間か前から徐々に
ひたひたした足音のような、 もういちどの死の近づきを感じるのだけど
その音が今日かんぺきに消えた

父が亡くなった日 わたしも死んだのをはっきりわかったそのときと
今日のアブラムシの感覚は 同じものであることをわかった

父だからではなかった 話したことのないそのひとも ガザで命を奪われる
ひとも そのひとの死は自分の死であるその自然 その自然を今日残された
ひとの会話を聞いたとき そのひとたちともわたしは繋がっていることを
みんなで同じ葉の上で生きていることを そうして死んでは あらたな命が
生まれることを そのどのときにも そのひとはいることを

そのひとは 残されたひとのなかに 鏡みたい映り込むのを
それは そのひとはいるという 何よりもの証左であるのを
そのひとの死に、 そのひとの存在に 教えられる

いなくならない いなくなることはない
そんなふう この世界はできている

だから誰もぜったいにひとりじゃない
完全なる孤独をどれだけ願い意図しようとも それだけは叶うことはない
完全にひとりにはなれない

かならず誰かのなかには自分がいる
自分のなかにはかならず誰かがいるように
みんなが自分を生かし 自分がひとを生かしつづける

死はほんとうに、 かたちなだけで
生きているか死んでいるかはほとんど関係ないというのは
以前からつねずね思うところではあり

生きていなくてもそのひとはいるように 生きていても自分のなかにそのひ
とがいなければ 生きているかどうかも思わない だから生きているかは
わからなくても そのひとを生かしているひとはかならずにこの世界にいる

いま生きているかどうかではないことを 存在はほんとうただ継続し続ける
そのなかで いまを自分をいかに精一杯に生きるかなのだと そんなあたり
まえのことが 今日、 その個別のないアブラムシの感覚によって より自分
のぜんぶへと、 腑に落ちた

そのひとをどれくらい知ってるか 愛しているかも それすらも関係なしに
すべてのひとの存在から ひとりひとりは影響を受けていて すべてのひと
に自分という存在は 連鎖と循環のトーラスの輪のなかで 影響を与えてる

みんなのためにも だからどうか 自分を大事に
自分の命を大事にするかを決めるのは 自分しかいない
その命は 自分だけのものではない

ひとの命も そのひとだけのものでない

みんな大事

その想いをもちあい生きてくことができる未来を
ともにみんなで つなげてゆきたい。


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