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可能性

住まいの近く、 隠れ家のようにあった珈琲店が、 今週末で閉店される。
できるならこの場所ずっとあってほしいと願う、 ほんとうにいいお店で
清潔で丁寧で、 思いがゆきわたっていて、 そのひと伝わるコーヒーは
どこか、 懐かしい味で。  閉じられる理由の一番は、 集客と聞いたけど
休みはほぼゼロで朝から晩と開けられていて、 それでもの経営のきびしさは
お店に理由があるのじゃないように思う。

コロナ禍、 自粛要請が出ていたころよりも、 この夏の方が個人のお店
みんな大変そうに感じるのは、 いつもよりもの静けさを見てもあるけど
猛暑下の集客や、 物価の高騰による大変さを、 店主さん 言葉にされるのを聞くこと重なり、 そのなかもうすぐ加わるインボイスを思うと、 お店に通うこと以外 自分は何もできない、 大丈夫を願うしかない、 もどかしさなのか、 心苦しさなのか

どこにどういう思いを向けたらそれが、 灼熱の太陽下、 さわわと天気の雨を降らすみたい 水の分配偏った、 乾いた社会構造に 全体、 まんべんなくの細やか豊かな水路を通すことができるのか もう選挙や政権交代を待っていては間に合わないのを、 いまを前に、 強く思う。 過去最高の税収は、 どこの何のために使われるのか。 いまこそ、 ぎゅうぎゅうに搾り取ったそのお金、 戦争をからめた、 彼らにとっての希望的予測や、 不確かな観測なんかによりも、 現実の大変ないまに注ぐことが、 ひとを社会を倒れささないことが、 はるかに絶対必要なときなのに。

自分にできることは 限られているのか 無力なのか
そう思うことが、 彼らが期待する反応なのか
自分自身のほんとうは、 真実は どこにあり、 そこには何があるのかの
その答えは、 いつだって どのときも 外にはないで 胸にある

できること限られているのも事実だとして そのなかでできることはつねにある
限られているからと いま自分ができることに意味を自分が見なくなるなら それをすることもなくなるなら それこそが 彼らの期待を満たす、 一番の反応になる

実際や現実には、 なんの意味もないように思えても
胸が示すいま自分ができることを、 ただ一心に、 魂をこめてそれをするなら

そのこめたもの、 焼石に水のように すぐにの蒸発を思っても
そうして気化した水はそれでも、 打ち水のように、 その熱を鎮めたり
立ち上った水蒸気、 空気の乾燥を和らげるかもしれない

ことやものそのすべて、 意味がないものなんてひとつもないけど
いま自分ができることを胸にわかってすることは、 そこに、 真の意味を持つ
それが、 こころの有無でもあるように思う。

事態や状況にはなんらの影響も持たないようで その状況を形成する、 現実の元となる、 意識のぶぶんに こころあるものは、 水のように浸透し、 作用する

起きていること、 現れ出るもの全て その元にあるのは、 意識でありエネルギー
そこからすべては生まれ出る

すべてを生み出す大元へ働きかけるもの 表面は言葉や行動ものやことでも
実際は、 そうして意識に届き伝わるものもまた 意識であり、 エネルギー
そのこころは のところ。

何があっても、 何もなくても どのときにも示される いま自分ができること
その、 自分にとって それは、 全体にとっての必要を、 自分の内にわかるなら
あとはその瞬間に それを生きる 行動するのみで
そのとき問われ、 見られるところは 純度になる

そこに少しでもの、 個人的な何かがまざれば そこですること そこでの意味は また違うものになる。 まざればそのぶん、 水は濁る。

この瞬間の 胸にあるままを まっすぐに 正直に 純度高く

そのときそれは、 自分の計り知れないところへ届き 
なにかを生かす、 一滴に
その一滴の集積が 池になり、 川となり、 海へと注ぐ

いま、 自分ができること

ぜんぜん実行できていないけど、 道のゴミ拾い 買うものや、 使うもの
植物を育てるのも ひっくり返った蝉に気づいたとき ひとから憎まれたときや
誰かの悲しみや苦しみに触れたとき あからさまな差別を前にしたときも
そのどのときも どの瞬間にも胸の内から示される、 いま自分ができること

社会や目の前で起きていることを、 自分はどうとらえるか、 そうして何を感じるか
そこでの認識によって 自分がいまできることは変わる

ここしばらく常々くらい書いているのは そのときいちばんの分岐点は
自分ができることをわかる その始まり どこからそれを見るかのところ

誰かや何かに対して、 自分は何ができるだろうかと思うとき
そのひとや、 その事態や状態にとって、 自分ができることは何かと見るのと
そのひとや、 その事態や状態において、 自分のできることは何かを見るのは
同じなようで、 その意味、 まったく違うものになりうる。

その必要は、 どこからか。 自分の内からなのか 外にあるものからか
そこのところ、 見極め 自覚のもとになら
そのどちらでも ゆく道の体験変われど、 道は続く

その、 どこからが 胸の奥にある 真実 いわば愛ならば
そこからの一滴は その瞬間最大の 自分のできることになる
その機会が みんな、 どのときにもある

ちから奪い隠されて 植え付けられた無力さという、 覆いはふきとび
自分のできうる その可能性へ  意識の視点切り替わる
その近づき 始まりを
池に湖、 水の溜まりに 川の流れの音の変化に それを感じる。


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