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海外で暮らすということ
私はいま海外にいる。
ここは日本から飛行機を乗り継いで約20時間、ヨーロッパの国。
当たり前のことだが日本語は通じない。この国の公用語はここに来るまで1度だって聞いたことのない言語だった。
私が初めてこの国に来たのは6年前。コロナ禍はこっちに留まることが難しく、日本に一時帰国していたが、それを踏まえてもこの国での生活は4年目になる。
2000年生まれの今年25歳。同級生のほとんどは、社会人3年目になろうという年。結婚や出産といった類の話もちらほら聞くようになってきた。そんな中、私は未だ学生という身分で海を渡った土地で独り暮らしている。これにはなんとも言えない孤独を感じる。
私は成人式には行かなかった。通う大学のテスト期間と丸かぶりだったから。結局、コロナで式の実施は中止になった。それでも友人は皆、晴れ着を着て集まり、卒業式ぶりの再会を果たしていた。
私は同窓会にも行かなかった。友人の結婚報告も、結婚式も、その場に私はいなかった。どれも、学校の授業をサボり、片道10万以上するチケットを取ってまで行ける場所ではなかった。その光景をいつも私はSNSで眺めていた。
「海外在住」といえば聞こえは良いが、この疎外感は常についてまわる。
私はいま海外にいる。
ここでの暮らしは楽しい。頭をかち割られるような、常識を裏切られる経験は日本ではなかなかできないし、緊張感のある生活は飽きない。
ただ、英語圏でもない土地で公用語を喋らず、英語のみでする生活は一種の賭けに近い。(4年も住んでいて未だ話せないのは自己責任でしかないけれど…)
この国では英語を話さない人も多い。さまざまな場面で言語の壁を理由に諦めることもある。日常的に行くスーパーマーケットでも、彼らの言葉が通じない理由で嫌な顔をされることはしょっちゅうある。たまにだけれど、アジア人差別を受けることもある。私はこの国では常に他所者に分類される。
とはいえ、私は生粋の日本人で、それは紛れもない事実だし、ビザを発給してもらってこの国に住めている立場であるわけだからそこに文句はない、仕方のないことだと思う。
ただ、何年住んでもこの孤独は消えないのだろう、という漠然とした不安がついて回る。
私だけ時が止まっているようだと感じることがある。
こっちに来て、私が何か得られたものはあるだろうかと考える。
失ったものはなんだろう。よかったことはなんだろう。なぜ私はいまここにいるのだろう。将来はどうしよう。いくら考えたって保証された絶対的な答えなんかないのに考えてしまう。
もし日本で進学をしていたら、海外に来る選択をしていなかったら。たらればの考えが頭を巡る。私は私の選択に後悔なんてしていない。本心か強がりか、自分でもわからない言葉を繰り返す。
将来は日本に帰って暮らしたい。日本のなくならない慣習、給与の低さや税金の高さなど、懸念することはたくさんあるけれど、やっぱり私は日本で暮らしたい。
でも、いざ私が日本に帰ったとき、そこに私の居場所はあるのだろうか。ふと、そう不安になる。
私がいまこの国で感じている孤独感は日本に戻れば消えるのだろうか。一時帰国をするたびに、日本にいても同じような感覚になることが増えてきた。疎外感と孤独感。どこにいてもここは私の居場所ではないのでは、という気持ちになる。
私が日本から離れている間、あたりまえに元いた場所でも時間は流れ続けていて、日本で起きているニュースは大きなものしか知らないし、去年の紅白出場者はほとんどが知らない人たちだったし、M-1もキングオブコントも、日本にいたときは欠かさずリアタイしていたけれど、ここ数年の優勝者さえも今の私は知らない。私は事実として取り残されている。
数年前から恋人と同棲しているあの人も、もうすぐ結婚するらしい。反抗期が大変だった、あの子の弟が今年就職だって。
制服姿で、この授業がダルいとか、あの先生は嫌いとか、先輩がかっこいいとか、そんなくだらない話をしていた人々はみんな、家庭を築き、キャリアを重ね、人生を着実に進めている。
いつまでも学生でいる私と彼らに相居れるものは残っているだろうか。
どんな不安に苛まれたって日々は続く。同じようにどこにいたってみんな不安は抱えているんだと自分を宥める。
そんな溜まった弱音を誰にともなく吐きながら、
明日も明後日も私は海外で暮らす。