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支援措置の話と人助けの話

グループホームから出て新しい家に引っ越したと同時に、
親と絶縁すべく分籍と支援措置(住民票の閲覧制限)を行った。
これによって血縁関係であっても住民票を覗かれて
転居先の住所を特定されることがなくなる。

過去の境遇

私は基本的に長子として理想化と脱価値化を繰り返されて
搾取子や家庭の歪みの捌け口としての役割を押し付けられ
居ない所で異端者として悪口を言われ、他の兄弟と親とが
連帯を強めるような陰湿な形でサンドバックにされる事が多く、
教えられてもない事を知らなければ「そんな事も知らないの?」
とバカにされ、兄弟のしつけ兼見せしめとして体罰を受け、
風呂に入ってたら急にガス栓を絞められ、度重なる理不尽に逆らうと
馬乗りでボコボコにされるなど死にそうな目に何度もあった。

基本的に構われる事は少なかったが、
何かあちらの都合で急遽押しかけられたり
一方的に物や手紙を送りつけられたりする可能性も、
そのことで恩を着せられる可能性も今後も否めない。

別居からしばらくして

現にグループホームに住んでた際、なぜか頼んでもないのに
既に所持している精神疾患についての本を一方的に
送り付けられた事があった。よかれと思ってだったのだろうが、
こちらとしては当然余計なお世話だったし、
「もう持ってる」と言ったら「じゃあ実家に持ってこい」
などと実家に呼び出す口実に使われ、
私はおよそ一週間程度日常生活に支障を
きたすほど体調を崩した。このようなトラブルが
金輪際起きる事がないように、
自分の健康と人生のためにも
絶縁するには打ってつけのタイミングだった。

毒母の生態

部分的に幼稚なまま老いさらばえてしまった母は、
賞賛に飢え、愛情に飢え、自分に対して各方面から
関心を向けられたい「察してもらいたがり」な反面、
他人の心の機微に対して控えめに言っても愚鈍で無神経なので、
友人関係は昔から長続きせず、人望もなく、
自分の傷つきを無視するために他人の都合や
繊細な傷つきも軽視して土足で上がり込んで、
ずけずけと断言口調な物言いで周囲を傷つけた挙句に
「気にしすぎ、傷つく方が悪い」と暴言を浴びせ繰り返し
他人を遠ざけてしまうような悲しい暴力装置になり果てた。

そんな言葉の通じない親を遠ざける方法

そんな母に対して一番有効なのは法的手段を行使して拒絶する事。
複数人の専門的な人に承認を得て守ってもらうことでしか
歪んだ認知フィルターを貫通してこちらの真意を伝えることが難しい。
「血が繋がってるから分かり合える」なんて
分かり合える人間しか身内や周囲に存在しなかった人の戯言で、
そもそも法的な手段に出るなら、第三者の専門家を挟んで
手続きを踏むなら、無理解な親にわざわざ暖簾に腕押しな説得したり
理解してもらうという手間をかける必要はどこにもない。

一挙手一投足ごとに茶々を入れ揚げ足を取られ、
前に進もうとしているこちらの人生の足を引っ張る事しか
しないような人に人生の決断について
お伺いを立てるなんてそれこそ時間の無駄だ。
一緒にいてスリップダメージを受けるやつと同じ土俵に
わざわざ降りて泥仕合に人生を浪費する必要はない。

だからこそ、専門家の第三者を巻き込んだ児童虐待(弟)の
匿名通報が功を奏し、職員に説得されたのが効いたのか
怒鳴ったり暴力を働く頻度が減ったし、
そこから緊急性が高いと判断してくれた医者、
カウンセラー、保険師などの何重もの心強く手厚いサポートに恵まれ
グループホーム移住までこぎ着けた。書類作成や記入が苦手でも
窓口で書くのに詰まるたびに職員が丁寧に説明してくれて
手伝ってくれたおかげで話の通じない人とごちゃごちゃ話し合うより
よっぽどコストがかからなかった。手続きは淡々と書き進めれば
いいだけだから、衝突もないし当然といえば当然だけど。

別居の話が浮上した途端の奇行

私が家を出ていく動きを見せた時の母の挙動も奇妙だった。
家を出る行動を起こす直前まで、使い古してボロ布になり果てた
寝具に丸まって病床に伏していようが十何年前の服を着ていようが
我関せずのペット以下の扱いだったのが、打って変わって
一人暮らしに必要な最低限の家具家電を揃えるのを手伝おうとしたり
薬局で食料や日用品を買ったり、タクシーで見送りまでしてきた。

所感

それまでの仕打ちを考えると試し行為と、
見捨てられ不安からの縋りつきコンボの極みでしかなく、
「今更献身的でマトモな親ヅラされてもなあ」という
冷ややかな感想しか湧かなかった。
「別居はしても私たちはまだ仲良し親子よね?」という
気持ち悪い期待を口には出されずともビシビシ感じた。
変なタイミングで自己満足に変な演出するのも
見栄を張るのも別に今に始まった事ではないんだが。

同情はしないけど可哀相なんだな、とは思う。
これまでもこれからも他人とそういう接し方しかできないのだから。
ただ、だからといって自分ら兄弟がその親の過去の傷つきや
心の巨大な空洞を埋めるための使い捨ての材料に当てがわれたり
第二の人生や復讐の手駒にされる義理も義務もない。御免被る。

人生の間違い探し、というテーマを自分に振られると
あの親から生まれた事そのものだとしか答えようがない。それくらい
失敗から始まり、成功のしようのない人生だったと思っている。

そんなある種、部分的に振り返り割り切った今なお
未練がましい文章をこうして去年から長々としたためている間に、
早くもグループホームから引っ越し支援措置をしてから
一年が経過しようとしていた。

支援措置の更新

破天荒な親は連絡を断とうがいつ何をされてもおかしくない。
何らかの理由で家に押しかけられでもしたらたまらないし、
ただでは済まないだろうと思うから
もちろん延長の手続きを踏もうとは思っている。

しかし、その延長の手続きのためには理由書を書かないといけない。
これだけ連日フラッシュバックに怯え、日常の中に潜んだ
トリガーにうっかり触れてはフラッシュバックに苦しみ、
後遺症の不眠からようやく眠れた先でも寝しなに
親の怒鳴り声の幻聴で飛び起きたり、
悪夢の中ですら過去にあった言い争いを追体験し、
セルトラリンという複雑性PTSDからくる落ち込みと不安を
軽減させる薬が処方上限である100㎎処方されていても
それを一から書く必要は果たしてどのくらいあるのだろうか。

いつ、どこで、どのように被害を受けどのような影響を及ぼしたかを
わざわざ手書きで、改めて一年ごとに、更新のたびに。…マジで?

支援措置を行ってたったの一年で加害者と被害者双方の問題が
改善するわけがない。程度の差はあれDV被害やストーカー被害と
同様で、脅威は相手が衰え死んですらもなお、この先この身を
後遺症という形で苛み続ける。それでも生きる為にできる事をして
服薬だって続けなければならない。少しでも穏やかな日常を送り
人間としての尊厳と生活を取り戻すために。

虐待問題は『被害者である子供を加害する親から
引き離せば万事解決!』などというシンプルな話ではないのは
トラウマ論が発展していき虐待問題を取り扱う専門家、
もしくは当事者及び当事者支援の福祉の現場など
プロアマ問わず語りつくされ今や常識の範疇として語られる。

そんな本来育むはずの地盤を築く段階で
その根幹が成育環境や逆境によって歪み、必要最低限
文化的な日常生活を送ることすら困難になってしまった
患者に設定するハードルでは、到底ないように思う。

ASD/ADHD当事者の自立支援や手帳の更新やその際に
二年おきの高い診断書の提出をしなければならない件にも
同様の不満を感じていて、支援措置更新の手続き共々、
障碍者差別解消法の第七条二項にある、
「行政機関等は、その事務又は事業を行うに当たり(中略)、
障害の状況に応じて社会的障壁の除去の実施について
必要かつ合理的な配慮をしなければならない」という項目に
全然則ってないように思う。そういった障害を抱えた患者や
トラウマを抱えた虐待被害者について碌な知識が無い人が
鼻くそをほじりながら制定したのか?とすら思ってしまう。

家族間で親から逃れる手段として藁にも縋る思いで使った制度に
「最低限これくらいはしてくれないとね!人が動くし
 タダじゃないんだから。それくらいできるでしょ?
 こんな事もできないようじゃこれ以上は続けられないな」と
やっとの思いで掴まってる命綱を切る刃物を取り出された気分だ。

つまづいた時に思い浮かぶ自分を追い詰める言葉

こういった手続きに躓いて弱ってくると「お前が弱いのが悪い」と
頭の中に居座ってる母が嬉しそうに罵倒してくる。
「ほら見ろ!お前が弱くて頭がおかしいから悪い、
 お前が異常、余計な事をして大げさに騒ぎ立てて
 人様に迷惑かけて。被害妄想で暴れる失敗作の障害者。」と、
障害者と罵倒する割には障害者として扱ったり医療には頑なに
繋げようとしなかった親が、かつてしきりに投げかけてきた
呪いの言葉が延々と頭と背中に纏わりついてくる。

実家にいた頃の話

ブラックバイトを辞めた時も、同じ幻聴に苛まれ
それに上司の罵倒の幻聴のダブルパンチで
罪悪感に引きずられ指と爪の境に埃が積もるくらい寝たきりになり
過食と拒食を繰り返しトイレを往復するだけの毎日を送っていた。
「このまま死ぬのかな」「どう死ぬか」と漠然と考えてた矢先に
専門学校時代に一番交流していたオタク友達の女の子が、
自分よりも先に統失の母の介護に追い詰められて
衝動のままドアノブにぶら下がった。

こういうケースを人々は自殺というが、
似た境遇の自分には他殺に思えてならなかった。
共通の友人と送別会に出席して、その子の
親の顔を初めて見かけたが「自分が殺した」とは
一ミリも思っていないようなツラを下げ、終始
「娘に死なれてしまった可哀想な私たち」という雰囲気だった。
このままだと自分も同じように親に殺されるし、
殺されたのに「何もしてないのに勝手に死んだ」みたいな顔で
涙を拭いながら葬式に参列するんだと思い寒気がした。

他人の実績で着飾り自分の空虚さを誤魔化す親は
子の死すらもひとつの装飾品に過ぎない。
明確に追い詰めてた癖に「まさか死ぬとはね~」
などと、他人事としていけしゃあしゃあと抜かす。

一旦自分も死んだことにしてやりたい事をした

そう思い、家という檻の中で拗らせに拗らせた
不安障害も適応障害も鬱も対人恐怖も一旦脇に置いて
好きなアーティストのワンマンライブに行ったり
ゲームの同好会に顔を出したり、自分を知らない人に囲まれ
普段見ない世界を自分の足で見に行った。

専門では対人恐怖が酷くて全然友達を作れなかったのに

結果的に専門学校で全然作れなかった友達が
同世代でも年上でもたくさんできた。
似た境遇で実家の病気について理解のない親元から
出られないでいるという人にも、
毒母の支配から逃れたがってる人にも出会った。
定期的に近況報告したりスカイプで励ましあった。
親よりよほど理解を示してくれる人が
外にはこんなに居るんだな~と感激した。

親友の自殺から八年

彼女の分まで生き抜こうと足掻いて八年経つ。
窮地からは脱した。後遺症を引きずってはいるが
あの頃に比べてかなり環境的にはマシになった。

去年七回忌だった。今年こそは一度は墓参りに行きたい。
一緒に遊ぶ夢もいまだに時折見る。カラオケに行き
本屋に行き、居酒屋で飲んで何気ない話で盛り上がり…
その間にも親からの執拗な電話やメールを
しきりに気にしていたあの横顔が今でも忘れられない。

考えても仕方のないことと割り切ろうとしても
自惚れだとわかってても「もう少しあの時、何か自分にも
やれた事や聞けた話があったんじゃないか」と考えてしまう。
どうすれば助けられただろう。遅かれ早かれ死ぬにしても
もっと支えたり相談窓口とかに繋げたりできたんじゃないかと。

諸々の経験から得た教訓

救助隊や自衛隊、消防隊員などプロの現場でも、救助の際は
自分の避難経路をしっかり確保してから人を助けると
どこかで読みかじったことがある。

自分が溺れたままだと溺れた人を助けることはできない。
せめて自分がある程度助けられる余裕が出てくる程度に
助かってからでなくては、結果的に際限なく身を削ることになる。

人はアンパンマンでもなければ神でもないから
替えの頭もなければ万能でもないし、関わる人全員を
全員救うだとか助けようなどと思ってはいけない。

そもそも助けを求めている人の中で、具体的にどうすれば
自分が助かったと思えるか、具体的にどうなれば満足できるか、
他人の助けを借りれば実現可能かつ現実的な範囲での希望が
ある人がどれだけいるだろう。

上記で語った親が抱える幼少期の空洞など、
何をもってしても埋められない物もある。
それを薄々自覚してる人々は結果的に物質に過度に依存したり
自分をより窮地に追い込み装飾や舞台装置の燃料として
活用するに留まり、他人から得た信頼を犠牲にしてまでも
いつまでも心の穴を埋めるその場凌ぎの快楽に縋る。

自分が助かるという事を想像できないくらい逆境に
打ちのめされている人もいれば、いざ助かるという
環境に身を置いた途端不安定になる人もいる。
どれだけ周囲に支えられ助けられていても
「だれも助けてくれないし、いずれ見捨てる」という悲観的な
考えに囚われ見捨てられるまで自傷やODを繰り返す人もいる。

自分を支援してくれている職員からも、家族間や病人同士で
支えあって負担が大きく共依存し、最終的に
共倒れしてしまうケースがあるとよく聞く。
支援者視点のノンフィクション漫画でも、
著書でも、そういうケースは散見される。

専門的な知識を身に着けても人を助けるのには限界がある。
知識をかき集め承知の上で人助けをやめられないのも
ある意味自分の問題から目を逸らすために刹那的に
人を助ける事そのものに依存しているからかもしれない。

かくいう自分も友人を助けられなかった事を未だに
悔やみ引きずっている。この体験もまた、埋められない
心の空洞になる可能性を秘めているが、「今関わってる人々を
これ以上失いたくない、大事にしたい」という思いも
原動力になっているため、なるべくお節介にならない程度の支援と
ゲートキーパー程度の踏み込みに留めようと心がけている。

繰り返しになるが、自分がある程度助からなければ
人を助けることはできない。他人を大事に扱うにもまず
自分の扱いをセルフネグレクトや自己犠牲癖の現状から
脱却させて、少しでも大事にしていく必要がある。

誰かを支援する際に気を付けたい事(自戒)

昔見ていたサイトの記事の受け売りだが、支援と支配は紙一重だ。

人が自分と同じような失敗をしてしまいそうになった時、
先回りして「ああした方がいいこうした方がいい」と
具体的対応策を提案したい気持ちが先行してしまう場合があるが、
それは過干渉系親と変わらず、自分の不安を投影してしまっている
だけになってしまう場合があるのと、自分で気づいてこそ
活かせる知恵や教訓もある。干渉し過ぎると自発的に困り事に
気づく力、そして、それを言語化して人に相談する力、
解決法を調べて模索する力、それら一部始終から経験値を積み
学ぶ機会、全てをひっくるめた、いわゆる
自己解決能力を養う機会を奪ってしまいかねない。

時には黙って見守るか、自発的にこちらにアプローチしてくるまで
相談に応じないなどの一線引いた距離感も必要だと思う。
そこの一線を越えてしまうと共依存や、そのつもりがなくても
支配関係に陥る危険性があるので、悩み事ができたら他の
専門家に聞いてもらうなど、客観的にくっ付き過ぎていないか、
同化していないか、自分の不安を投影していないか、
それぞれ慎重に見定めて動く必要があるなと、
人に支えられながら人を支える行いをしてて感じた。

相手を人として扱うこと、そしてそれと同じくらい
自分自身も人として大切にすること。
普通のコミュニケーションも、子育ても、そして支援も、
そこが肝要なのではないかと、自分に問い続ける。

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