存在し続けることの美しさ
その瞳は、何を捉えているのだろうか。括り付けられ、不自由な体勢で何かを見つめる先には、悲しみ、哀愁が漂っていた。だが、そこに痛みは存在せず、美しさが、ただそこにあった。
東京都現代美術館にて「マーク・マンダースの不在」が開催された(2021年6月22日まで)。マーク・マンダースは、架空の芸術家「マーク・マンダース」の自画像を「建物」という枠組みを用い、30年以上表現し続けている。作家が18歳の頃、自伝的な小説執筆を試みた際、「建物としての自画像」という構想が生まれた。「建物」という入れ物に収める彫刻やオブジェを制作し、作品配置全体によって、自画像を構築している。
作家はインタビューの中で、以下のように語っている。“物は最も強い瞬間を捉えることができるものだと思う。感染症、戦争、季節…移り行く世界の中で物はそのままの状態であり続けます。私が芸術を本当に愛する理由はそこにあると思っています。(中略)物が同じに留まっているということは、とても美しい。”私が感じた美しさは、物が存在し続ける概念そのものに対してなのかもしれない。
展示作品の中には、彫刻が何かに括られている作品が多数ある。ベルトで鼠と共に縛られた犬、不自然な体勢で机から金属のロープで括り付けられた人…。文章で羅列すると、おどろおどろしいと思いきや、実際に作品を目の前にすると、とても美しい。また、人の頭部の彫刻作品では、一部が削られ、別の素材で補われていたり、そのまま剥き出しになっていたり、はたまた、その屑が床に落ちていたりする。不自由、そして不完全さ。それが人間なのだと、強く感じずにはいられなかった。
会場を進んでいくと、「ドローイングの廊下」に行き着いた。そこには、人間や動物の身体の中に、何かが収められている描写が多く存在した。それは作家の「生物を構成している物は、何なのか」という問いに対して立てた仮説に思えた。もしかすると、この作品群全体が、そのような思考の記録なのではないか。しかし、それは今の時代に生きている私という人間の考えである。仮に、200年後まで作品が物として存在し続けた時、抱く印象は今とは少し違うものになっているであろう。私は、あの臓器の配列のように並んだ作品たちが、いつまでもどこかにあることを思い浮かべ、喜んだ。
大島有貴