伊藤ガビンさんと渡辺篤さんインタビュー
Q:あいトリからコロナ禍を経て大きな思考の変化はありましたか?
「…それは面白い質問だね」とにやりと考え込んだ姿が忘れられない。私はガビンさんの情報がなかなか集まらないなか、あいトリだろうがコロナ禍だろうが、不動のテンポで更新されているインスタグラムを見てみた。ちょっとした嗜好が画像で記録されている。私が求める活動の詳細などはない。しかしその記録の隙間に絶対に何か大きな思考の変化があるはずで、それを知りたかった。唯一手元にあった美術手帖の「美術と表現を続けるための21の提言」(2020年4月号)という特集に掲載された短い記事を読む。そこには頭がカッとなりながら落ち着き、立ち向かうよりもゴロゴロしながら日々のことを優先する事なかれ主義者が思考していく様が記されていた。振り返れば、気に入らない相手への強い態度はより大きな分断を生んでいたと自己分析する。極端な方法で自己主張するネトウヨが、非常事態宣言を出した国がマスクの配布や特別給付金などで右往左往した混乱をどう捉え、何を考えているか気になるガビンさん。対峙する相手、相容れないかもしれない人たちをより深く知りたくなってしまう好奇心を露わにした。
Q:他国の悲惨な状況を見ているので、今の危機に日本人はもっときちんと対応すると思ったが、反して危機感のない人たちは少なくない。それに対してどう思うか?
「まだインパクトが足りない。正常化バイアスがかかっている」と言う。どれだけのインパクトで人々は自分事として受け取るのだろうか。日本人の「いい加減さ」に鈍く振動するだけなのだろうか。私は恐ろしさと悲しさを感じた。
「ガビンさんのような事なかれ主義者、さらにはいい加減さを体現している人達は思っていたより多い。コロナ禍という現状に対して、そのような存在があるからこそ日本に救いがあるのでしょうか?」。今度はこのようにガビンさんに鋭く問いかけたい。
Q: 好きなアーティストは誰ですか?
二人目のゲスト、渡辺篤さんは作品のアーカイブが圧倒的に多い。アートワールドを気ままに漂うようなガビンさんとは対照的だ。作品の制作過程を記録し公開することは本人の最重要課題のように思えた。引きこもりの当事者をめぐるアーティストとしての意識とアクティヴィストとしての意識が話の随所に見受けられる。自身のみならず社会的弱者や障害者と協働作業をしている他のアーティストに対しての厳しい眼差しも強く感じた。だからどのようなアーティストを認めているかふと聞きたくなってしまったのだ。愚問だろうか。しかしながら、ぱっと浮かんだアーティストを明快に口に出して説明する姿に、彼の日常には他者との対話が根付いており、頭の中が整理されていると感じた。終始、渡辺さんとの問答はさらなるコミュニケーションを刺激するものだった。
「参加者と作品を協働で制作する場合に、自分のオリジナリティと参加者のそれのバランスはどのようにとっているのか?」と次は制作についての質問を投げてみたい。
さて、今回対極にある二人のアーティストに同時にインタビューをして、それぞれのアーティストの世界観を知り、理解したり共感したりした。自分の中の感性は縦横無尽にアーティストの世界を行き来した。そんなことができたのは、視点や表現方法が異なるとはいえ両者はともにアーティストとしてのアイデンティティがしっかりしているからだろう。
ニュースを見たとき、閉められた扉を見たとき、ポテトチップスの袋を開けたとき…そのような日常生活のふとした瞬間に二人の言葉が想起される。二人の持つ言葉は社会に繋がる現実的な言葉ばかりだった。感性を振動させる力のあるアーティストの話はとても魅力的なものだった。再び言葉を重ねる日が来るといい。ガビンさんはほくそ笑み、渡辺さんはまっすぐな目でこちらを見ている気がする。
荒生真美