52歳のライフシフト、アーティスト佐藤直樹

人生100年の時代。一つのキャリアを一生続けるのではなく、セカンドキャリア、サードキャリアをもって生きると言われつつある。デザイナー・アートディレクター佐藤直樹は、人生の後半である52歳からアートの制作を始めた。

作品完成をゴールとするモチベーションとは対照的に、佐藤は遭遇したものを描き続ける行為に身をゆだねている。完成を想定しない絵「そこで生えている。」は縦1.8m×横205mに及ぶ(2020年9月現在)。2013年の公開制作でアーツ千代田3331の桜、楠から描き始めた。その後、北秋田芸術祭2014にて阿仁町の築100年を超える民家飛沢家で制作を継続。千代田区の楠の葉が途切れたところから、秋田の阿仁川が描かれている。行った先で出会ったものを描き、続けて次に出会ったもの描き、を繰り返す循環には終わりがない。成長を続ける「そこで生えている。」は、サイズを限定できない作品である。ある時点の作品の鑑賞者は、佐藤の過ごした時間の長さと偶発的な体験を共有する。

デザイナーはオファーがあってから描き、アーティストは自分でテーマを設定して表現する。意図をもって制作し説明責任を果たす「デザイナー」として活躍する一方、次第になんの設計図もなく描くことを渇望するようになったという。

1994年日本版WIREDアートディレクターのころは、絵を描くとか考えられなかったし、良いことだとは思っていなかった。描くことを封印し、人にゆだねることを考えていた。

2000年代前半、まだインターネットが一般的でなかったころ、Central East Tokyoでは問屋の空きビルで様々アーティストに展示してもらった。活気のなかった東日本橋界隈で、とにかく無茶苦茶なことが起こればいいと思っていたという。アートという概念を考えないようにしていたというが、クライアントの反応に敏感なデザイナーとしてはあり得ない取り組みだった。

2010年代初頭に、かつて1年ほど住んでいた荻窪の街が排他的なところに見えるようになり、建物を憑かれたように描いた。2012年ころから木炭画を描きはじめ、2013年ころになってやっと<自分でテーマを設定して>描いていいのかと腹落ちしたという。幼少のころから親しんできた「描くこと」を再度人生の主役へ据え、アートにフォーカスを当てた。

多様なアーティストとコラボレーションした読み応えのある書籍も多く、デザイナーとしてのキャリアを重ねた表現者ならではの魅力がある。遅い芽生えのアーティストはこれからどのような偶発的な時間と場を表現してくのか、さらに長くなった「そこで生えている。」の次回展示が待ち遠しい。

佐藤久美


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