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えひめスポーツの聖地ここにあり_施設管理 高市敦美さん

愛媛県総合運動公園 施設管理 高市敦美さん

ムードメーカーで母的存在
常に周りの人の気持ちに寄り添う

―高市さんはこの施設でどのような役割を担っていらっしゃるのですか。
今はテニスコートの受付にいます。利用者の方を案内したり、テニスコートの水捌き、テニスボールから出る埃や落ち葉の掃除など、選手が気持ちよくプレイできるようにという気持ちで取り組んでいます。

―長くこの運動公園に関わられているそうですね。
合計すると25年あまりになります。いろいろ施設の体制が変わったり、子育てなどで少し離れていた時期もありましたが、都度声をかけていただいて戻ってきての繰り返しで。働くようになったきっかけは義母でした。グラウンドキーパーとして、芝生の管理に関わっていたのですが、子育て真っ只中だった私に、子どもの行事がある土日が休みの仕事だからと紹介をしてくれました。
義母はいちスタッフだったのに、とても責任感が強くて。休憩も忘れるくらいコツコツと働き、休みの日でも雨が降ると冠水が気になって居ても立ってもいられず朝の5時に芝の様子を見に来るくらい責任感をもって働く人でした。当時は芝生を這うようにして雑草をひとつひとつ手で抜いていたんですよ。とても集中力と根気のいる仕事でした。エネルギッシュで常に一歩先のことを考えて行動する人で、新聞に取材をされた事もあったんです。亡くなった今でも憧れであり、大好きな師でお手本となる人です。

お手本であり大好きな義母が取り上げられた記事を大切に保管している

―そんな高市さんだからこそ、率先して備品のメンテナンスなどもされるのですね。
選手には気持ちよくプレイして、気持ちよく帰ってもらいたいですから。テニスコートを水掻きする器具のゴムは破れやすかったり、ネジも錆びてしまったりします。誰でも使いやすいようにと、隙間時間にコツコツとメンテナンスをしているんですよ。

水掻きのゴムは消耗品。両面をしっかり使った上で、新たなものと交換する

―そんな長年の勤務の中で、印象に残っている出来事はありますか。
高校生の時に選手として通っていた男の子が、小学生の息子さんを連れて来てくれたんです。長く勤めていると、そんな素敵な事もあるんだなと思いますね。もうここではお母さんみたいな存在になっているのかなと思います。

―また高市さんご自身もスポーツウーマンだとか。
昭和55年の高校総体の時はバレーボールの強化選手でした。だからこそ選手に対して思うこともいろいろあります。いつも頑張っている選手たちに「頑張れ」とは言いません。「楽しんで!ケガなくね」と声をかけてコートに送り出すようにしています。

高市さんの回りには常に笑い声が溢れている。人の気持ちを和ませ、明るくさせる太陽のような存在
クラブハウスの入り口にある受付が高市さんの定位置。他の施設から高市さんに会いたくて来る人も

高市敦美
自宅は愛媛県総合運動公園からほど近くにあり、3人の子どもの子育ての傍ら約25年間に渡り施設管理に関わっている。サザンオールスターズのコンサートもここで見たという、仕事以外でも思い出が詰まった場所なのだそう。

【インタビュー】ひめラー:中島佐知子、和田玲子、福原真季