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今治における丹下建築の魅力と楽しみ方_豊川斎赫さん

建築家、建築史家 豊川斎赫さん

丹下健三が見た、今治の未来 
都市空間とアートの可能性


ー豊川先生は丹下健三さんの研究者として知られていますが、先生から見て今治の丹下健三建築の価値はどこにあるとお考えですか?

戦後間もない日本が世界に誇る文化人として、必ず名前が挙がるのが丹下健三です。彼の建築が、50年代から80年代までの多岐にわたって、今治の中心市街地に集中的に現存しているのは非常に貴重なことです。これほど丹下健三の建築の変遷を一度に見ることができる場所は、世界的に見ても、ここ今治以外にはないのではないでしょうか。

子どもたちや参加者らに公会堂についてガイドする豊川さん

ー丹下建築の年代ごとの違いは、どんなところに現れているのでしょうか。
50年代に世界で流行した折板構造を実現した今治市公会堂から、今治市庁舎別館のような70年代以降の高層建築へと、丹下建築は時代とともに多様な姿を見せています。さらには初期のコンクリート打ち放しから、晩年の石材を用いた重厚な表現など、素材一つとっても、変化を感じ取ることができます。


折板構造の美しさが光る公会堂の外観。丹下健三氏の初期作品の一つが、ほとんど当時のまま今に残る
今治市で開催したワークショップでは、紙を使って蛇腹を作り、組み合わせるという簡単な工作を通して、公会堂の構造についてレクチャーした

ー今治は建築の歴史を学ぶのに、とても恵まれた場所なんですね。
実は建築だけでなくて、アートシーンにおける戦後日本のモダニズムを理解するのにも、格好のフィールドともいえるんです。丹下さんは、猪熊弦一郎や谷口義雄、岡本太郎やイサムノグチなど、数多くの芸術家やアーティストと交流を深め、その作品に大きな影響を与えました。もちろん、建築家としても数多くの後進を輩出しています。丹下建築を軸に瀬戸内海エリアを眺めてみると、建築史にとどまらず、アートとの関連性や当時の美的価値観の変化を捉えることができるんです。

ー丹下建築からアートをひも解いていく面白さもあるんですね。
丹下さんは、市民に開かれた場所には、それにふさわしいパブリックアートが必要だという思想のもち主でした。そう考えると、今一度、彼が目指していた公共建築とアートの関係性とは一体何なのかを、今治において問い直してみても面白いかもしれません。海から広小路、そして市庁舎前の広場へと続く軸線や、人目に触れる庁舎内のパブリック空間に、どのようなアートがふさわしいのか。近代建築が誕生した頃、丹下さんが考えていた「市民社会とアート」というテーマを、長年の時を経て改めて考えてみることは、非常に興味深い提案になるのではないかと思いますね。

豊川斎赫(とよかわ・さいかく)
建築家、建築史家。1973年宮城県生まれ。千葉大学工学部総合工学科都市環境システムコース准教授。工学博士、一級建築士。東京大学大学院工学系建築学専攻修了後、日本設計を経て現職。

【インタビュアー】ひめラー:久保裕愛、中島佐知子