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今治における丹下建築の魅力と楽しみ方_大野順作さん

一級建築士 大野順作さん

焼け野原に生まれた街のシンボル
丹下健三が設計した今治の広場


ー丹下健三建築群は、いつ、どのような背景で今治に建てられたのでしょうか?

今治における丹下健三建築の始まりは、戦後1958年に建てられた市庁舎と公会堂です。幼なじみだった当時の市長から依頼を受けた丹下さん。焼け野原となった故郷に、人々が集う、民主主義の象徴となるような空間を作ろうという思いがあったようです。

ー当時の市民が感じた丹下建築の存在感は、すごそうですね。
木造家屋が並ぶ復興途中の街に、コンクリートの堂々とした建物が現れたのですから、大きなインパクトがあったでしょうね。
今治のメインストリートである広小路を軸に、相対して配置された市庁舎。そして公会堂は、広小路の道幅をとり込むような広場空間を囲んで、市庁舎とL字になるように建てられています。つまり丹下さんは、建物と建物が作り出す空間を、都市の広場としてデザインしたんです。戦後の公共施設が街の中でどのような役割を果たすべきかを深く考えた丹下さんの思想が、よく表れています。彼は街を空から見下ろすように、都市全体を俯瞰できる建築家だったと思いますね。


市庁舎本館、公会堂、市民会館に囲まれた「広場」について配置図を示す大野さん
屏風のような壁と屋根が特徴的な今治市公会堂。多目的な用途に対応するため、ホール前方は可動式の座席を備えた平土間とされた

ーそれぞれの建物は、どういう役割で設計されたのでしょうか。
人々が再び集い、交流できる空間を意識して、公会堂は集会や演劇、芝居など、多目的に利用できるよう設計されました。結婚式にも利用されたそうです。1965年には会議や小集会でも利用しやすいようにと、広場を挟んで向かい合わせに今治市民会館が建てられました。エントランスや2階の窓が広場に向かって大きく開かれた設計で、公会堂とはまた違った開放的な雰囲気を放っています。丹下さんが建物だけでなく、建物と広場との関係性にも深く配慮していたことが分かります。

ー丹下建築といえばコンクリートですが、よく眺めてみると、建物の表情がどれも異なるように感じます。
丹下建築は、コンクリートの構造をそのまま見せることで、建築の力強さや美しさを表現しているのが特徴です。つまり、どんな構造にチャレンジしているかによって、建物ごとに異なる佇まいが見て取れます。公会堂は、屏風のような斜めの壁がダイナミックな印象を与えますし、市庁舎はスリムな柱と斜めの壁の組み合わせによって、リズミカルながらも陰影の深い表情が特徴的です。見比べてみると、面白いと思います。

1958年に施工された今治市庁舎本館

ー大野さんは、今後、丹下健三建築群がどのような場所になったらいいとお考えですか。
今は駐車場になってしまっている広場ですが、週末やイベントのときには、丹下さんが本来描いた市民のための空間として、開放できたらいいなと思いますね。市民会館は1階を広場と一体で開放すれば、もっと豊かな使い方ができるんじゃないかと思います。やはり使ってこその建築なので、市民が集う場所になればうれしいですね。


市民会館の2階の柱は、当時最先端だったプレキャスト工法で造られた。地元の職人の技術が光る
広場に向かって開口がとられた市民会館。ガラスを多用したモダンな建築は、60年代半ばに建てられた

大野順作
一級建築士。1999年に今治市に「大野順作建築研究所」を設立。40年以上の経験をもとに、オーダーメイドの住宅設計から商業施設まで幅広い設計を手がける。今治市都市景観建築賞や照明学会賞など受賞歴多数。

【インタビュアー】ひめラー:久保裕愛、中島佐知子