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《番外編》上五島の思い出と
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五島についてですが、還暦について書いたのと似た少し感傷的なことを書きます。
大雨で山陰行きを変更して、諦めかけていた五島に夜行フェリーを使って弾丸で行くことにしました。
五島は30年前に1週間ほどかけて巡ったことがあって、私の旅先の中でもベスト3に入る印象深い場所です。
いきそびれた場所も多く必ず戻ってくると思いながら30年も経ってしまいました。また来ればいいというのは言い訳で、旅も一期一会なのです。
前回はまだサラリーマンでした。作家活動を始めていたかよく覚えてませんが、これからどう生きていくか、サラリーマンで生きていくのか悶々とし、多忙を極める生活に苛だち自分の将来図が描けずにいました。
そのストレスから解放された喜びと辺境で暮らす人への羨望とが前回の旅の価値を底上げしていたはずで、それが再訪ではどうなるだろうかと想像しあぐねてました。
私が前回、特に気に入っていたのが江袋教会です。長崎県内最古の教会です。
険しい海岸の山麓にへばりつく様はそれ自体が修行のようでもあります。前回はバスで来ましたが、狭い山道を縫いながらこんなところにまで人が住んでいるのかと思ったものです。
キリシタン弾圧で海を渡って逃れて来た信者がこの険しい環境で生きながらえて、禁教が解けたあとその子孫が建立したものです。それは質素な住宅に近い木造の建物で、その中に素朴なステンドグラスや木造のコウモリ天井が施されています。有名な長崎の大浦天守堂や同じ上五島の頭ケ島天守堂のようなスケールや華やかさはありませんが、日本の大工の伝統技術とヨーロッパの信仰の形が出会った姿はここを大切に思っている人々の姿が重なり、心を打つものがありました。
真紀をここにいつか連れて来たいと思ってました。ここまで来るのはなかなか大変ですが、彼女もここをとても気に入ってくれました。
再訪してみると2007年に火災に遭って半焼し、その後ほどなく復元されていました。それでもその印象は変わることなく、やはりその素朴な信仰の形に感銘を受けました。信じる形、祈る形とはなんなのかと考えます。
30年前に来た時を思い出しながら、今ひとまず作家の端くれとして活動を続けて来られていること、その時と同じような感覚を持ち続けていられていること、そしてここに一緒に来てくれる人がいること、自分は恵まれていると改めて感じました。
五島については書ききれないので何度か分けます。
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(白濱雅也記 2021.7.14)