コミュニティセンター、ミュージアムとしてのお寺
神宮寺の展示は穏やかに進みましたが最後は雨に遭いました。
雨宿りの間に丸木夫妻の襖絵を見せて頂くことに。
丸木夫妻というのは原爆の図という広島の惨劇を描いたシリーズで有名な画家夫婦です。どこかでこの名を聞いたことがあるはず。
この丸木夫妻と私らは少し繋がりがあります。
震災をめぐる美術をテーマにPOST3.11という企画展を主催して何度か開催してますが、その2回目の会場が原爆の図丸木美術館なのです。
その丸木夫妻の襖絵というので、1面くらいかと思ってたら本堂の襖全部という規模でびっくり。
一大コレクションでした。
原爆の図のようなメッセージ性の強い作品ではなく、伸びやかな自然を感じさせるもので穏やかな空気が漂ってます。
お寺というのは宗教美術が集まっていて、美術館のような面があります。
そして重要なパトロンであり、今でも分野によっては重要なコレクターでもあります。
庭や境内も立派です。
本堂や庭も立派ですが、建物だけが立派なのではありません。
ホールを解放して子供たちが遊びに集まり、近所のコミュニテイ拠点にもなっています。不登校の子や下校後の子供の遊び場になっており、そのホールではコンサートなどの文化催事も色々開催されているようです。
元々美術館などがなかった時代にはお寺は地域の美術館のような面がありました。また今でいうコミュニティセンターとして地域の集会所のような役割や、心の拠り所としての役割があったはずです。
あるお寺の子孫の方と話していて、「今のお寺は死者しか扱わなくなった」と嘆いていました。本来は生きている人と向き合う役割だったのに葬式と墓守が役割になってしまったのです。
その成れの果てが「なまぐさ坊主」と呼ばれるものでしょう。
とある仲居の話で、さまざまな団体の宴会を体験した中で、世間的にはガラが悪いと思われがちな建設関係は以外と礼儀正しく、一番行儀が悪かったのが、住職関係だと言うのがありました。
そんなお寺ばかりではなかろうと思うのですが、普段なかなかお寺の姿というのは葬式にでも立ち会わなければ、私らの目には入って来ません。
ここはある意味、本来の姿を取り戻そうとしているようにも感じられました。
地域に開かれたお寺、素晴らしい住職でした。