File.31 今だから、演劇を自由に楽しめる 佐藤正和さん(俳優)
"コメディの奇才" 福田雄一率いるブラボーカンパニー、海外公演などダイナミックに活動することを目指したゴツプロ!の旗揚げメンバーである俳優、佐藤正和さん。コロナ禍でいくつかの取り組みをはじめ、俳優としてだけでなくプロデューサー的な発想の大切さを実感し、またそこに可能性を見出している。50歳まで好きな演劇を続けられたことにより、新たに得た気づきとは?
取材・文=今井浩一(ライター/編集者/Nagano Art +)
——佐藤さんの俳優としてのキャリアについて教えていただけますか。
ブラボーカンパニーは劇作家・演出家の福田雄一らと大学の演劇部を母体として1990年に旗揚げした劇団で、ずっとお気軽でくだらないコメディをやってきました。芝居がうまいわけでもないし、チープだし、けれど熱心に応援してくださる方がいらっしゃるなど、独特の価値を持っている集団なんです。これからもっと大きくしようとは思っていません。ただただ楽しんでくださる皆さんと遊べればいいなあという場所になっています。ゴツプロ!は5年前に付き合いのある役者たちと「やりたいことをやろうぜ」と始めたユニットです。主宰の塚原大助は僕より5歳くらい若いのですが、上昇志向が強くて、旗揚げから本多劇場でやろう、海外でやろうみたいな目標を持っていたんですよ。コロナが流行り始めた2月下旬に3回目の台湾公演をやったんですけど、もっともっと海外にも出ていける可能性があると期待を持っていますね。
——コロナ禍で、「ゴロー's BAR」というYouTube配信を始めたんですよね。
僕らよりも何よりも、世の中の活動が止まってしまったじゃないですか。逆に動けることはないかという発想で「ゴロー's BAR」を4月9日から始めたんです。僕の中では深夜のラジオ番組というイメージで、生配信することで時間を共有し、「ポジティブに平穏な日常に戻るときのことを考えながら生きていこうよ」みたいなコンセプトで毎日しゃべっていたんです。
——「ゴロー's BAR」で佐藤さんが扮するゴローさんというキャラクターはどういうきっかけで誕生したのですか。
若い方はわからないかもしれませんが、テレビドラマ「北の国から」で田中邦衛さんが演じた黒板五郎をモチーフにしたキャラクターなんですよ。ブラボーカンパニーの劇中に登場して、座長の福田雄一に対する文句をアドリブで10~20分しゃべる、毒を吐きまくる、僕の双子の弟という設定です。大学時代からやっていますから、もう30年以上もやっていることになります。よくよく考えるとすごいですね。
――「ゴロー's BAR」をやっていく中で気づきなどありましたか。
それはもういろいろと。いちばん大きいのは、僕は役者ですから基本的に使われる立場だったわけですが、自分から動くことで、周囲も動くということです。今回のArts United Fund(AUF)の助成をいただいたのも「ゴロー's BAR」をその当時で50回くらい毎日配信させていただいていたからでしょうか。毎日やっていればいろんなことが起こるし、配信を見て反応してくださる方との距離も近くなって、価値が自然と高まっていくのを感じました。毎日見てくださる方々もいらして、巣篭もりの時期は「ありがとう、ありがとう」と言われるわけです。僕は感謝していただくためにやったわけではありませんが、もし癒されたと感じてくださる方がいたならば、それは僕にとっての財産ですよ。皆さんの想いや声が僕の力になる。だからこそ毎日配信をやめるのにはすごく勇気が必要でした。6月以降は週1、2回のペースにしたんですけど、今後ものんびりと続けていくつもりです(2020年末で107回)。
——コロナが落ち着いたときには、子供向けのコンテンツとして、下北沢桃太郎プロジェクト『桃太郎』を実現させました。
そもそも本多劇場が空いているから何かできないだろうかというところから始まった企画なんです。3月に上演する予定で劇場での仕込みまで終えたんですけど中止になり、クラウドファンディングの応援もいただいていたのでなんとか実現しようと動く中、小泉今日子さんプロデュースの「asatte FORCE」の共同企画として10月に本多劇場で上演し、11月には大阪・近鉄アート館でも上演することができました。僕らは舞台役者であり劇場にお客さんを呼びたいわけですが、コロナ禍での一般の方々の反応から改めて感じたのは、劇場になじみがないから僕らの考えや感覚とは違って受け止められているということでした。それが嫌だったんです。だったらこちらから劇場へのハードルをもっと下げる発信をしていこう、と。僕らの芝居は基本的に未就学児は観られません。ただ子供のうちから劇場に足を運ぶことが習慣になってほしいし、僕らが主戦場にしている下北沢に子供向けのコンテンツがあってもいいよねと思っていて。『桃太郎』には役者ではなく初めてプロデューサーとしてかかわりましたが、不思議なことに出たいとは思わなかったんです。びっくりしました。役者もお客さんも楽しんでくれているのを見て、自分のやりたかった芝居をつくったことに喜びを感じたんです。びっくりしましたね。まさか自分が小泉今日子さん(ナレーション)をキャスティングする日が来るなんて思いもしなかったので、勇気も度胸もついたし、意志を持って動けばそういうこともできるんだなというのは大きな気づきでしたね。
——そういうお芝居は地域でも観せていただきたいですね。
本当に、『桃太郎』で全国巡業したいんです。装置もダンボールの書き割りのようなものだし、ワゴン車1台あれば運べるので、ぜひ実現させようと思っています。
下北沢桃太郎プロジェクト『桃太郎』
——佐藤さんの今後の展開は? プロデューサー的な仕掛けもしていこうと?
まずは「ゴロー's BAR」ライブというパッケージを時々やっていきたいと思っています。ミュージシャンの方って、ギター1本でいつでもどこでもやれたりするじゃないですか。それが役者にできないことが非常に歯がゆくて、「来週ここが空いているから何かやらない?」ぐらいの感覚でできるパフォーマンスをつくっていきたいとずっと思っていたんですよ。ゴローというキャラも生かした短い芝居に、音楽とトークを交えた気軽な演し物をやっていきたいですね。これもコロナ禍で中止になってしまったんですけど、「青春の会」という、僕がやりたいことをやるユニットを立ち上げたんですよ。今年こそ『熱海殺人事件』をやって、来年はまた別の作品を考えています。50歳以上を対象にした青春割引とか設定してみたいです。
——なかなか忙しそうですね。
そうなんですよ。バンドをいくつも掛け持ちするみたいな感じですからね。でも、四六時中ずっとやっているわけではありませんから。50歳まで芝居をやり続けたことで、やりたいことが実現できる程度の力がついたということなんでしょうけど、楽しくて仕方ないですね。国からの持続化給付金も、このAUFさんもそうですけど、助成をいただけること自体が夢のようでしたし、それを使って何かをつくるという経験も初めてでしたので充実した時間を過ごすことができました。コロナ禍では、僕は俳優なので自分でコンテンツをつくることができるけど、スタッフさんはそうもいかないということに今さらながら気づいたし、そのことを考えるようになったんですよ。自分が動くことでその方々も一緒に動いていけるような状況をつくるのも自分の仕事だなと思っています。そういう意味では、信頼できる皆さんと一緒につくった経験はかけがえのないものになりました
ゴツプロ!次回公演『向こうの果て』(詳細はチラシ画像をクリック)
佐藤さんは、今こそ「演劇をする」ことを楽しんでいるようだ。話を伺っていてそう感じる。劇団を旗揚げして30年。それは1日ずつ、1作ずつ、1年ずつの積み重ねでそうなったに過ぎないのだろうが、大学を出てシアターガイドに就職したころ、30年も活動していたといえばどんな劇団があったろう。佐藤さんと僕はほぼ、ほぼ、ほぼ同い年。僕と串田和美さんのオンシアター自由劇場が同い年なのだから、アングラを率いた方々がまだ俳優座や文学座の研究所に通っていたころだろう。そう考えるととてつもない年月に感じる。佐藤さんにとって演劇はより自由なものになっている。それは続けた者だけが得られる感覚だ。
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佐藤正和(さとう・まさかず)
1990年成城大学在学時に旗揚げした劇団「ブラボーカンパニー」(主宰:福田雄一)と2015年に旗揚げしたゴツプロ!と、二つの劇団に所属して舞台を中心に活動。ブラボーカンパニーでは福田雄一の笑いの世界を、ゴツプロ!では竹田新の作り出す、ゴツゴツした義理と人情の世界を舞台を通じて発信している。ゴツプロ!では2018年より毎年台湾公演を行なっており、演劇を通じて積極的に文化・人間交流を行なっている。
ブラボーカンパニー公式サイト http://www.bravo-company.net/
ゴツプロ!公式サイト https://52pro.info/
Twitter https://twitter.com/sato_masakazu
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