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Vol.61 オペラ歌手になるという夢をかなえる方法 藤井麻美さん(オペラ歌手)

メゾソプラノの藤井麻美さんは努力の人だ。歌が大好きだということに気がついて歌の道へ、そしてオペラの素晴らしさを発見してオペラ歌手の道へ。その道は平坦ではなかったけれど、石の上にも6年、ついに彼女は自分の夢をかなえてしまった。そして今、藤井さんは日本のオペラ界になくてはならない存在になっている。思い込んだらまっすぐな彼女のオペラへの想いをきいた。
取材・文=井内美香
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(写真上)イタリア留学時代。B.Franci国際コンクール2017で特別賞を受賞

*このインタビューは2020年10月に行われました。

 ——藤井さんのオペラとの出会いを教えてください。

小学生の時に学校で合唱をやっていたんです。4年生から始めてコンクールに出場したりしていました。そして中学生になる時に新しい土地に引っ越すことになり、入学してすぐにあった音楽の時間で、自分の小学校の校歌を歌うという機会がありました。他所の土地から来た私は一人で校歌を歌いました。そうしたら音楽の先生が「合唱コンクールでソロを歌いませんか?」と言ってくれて。それで「また合唱ができるなんて嬉しい!」と。3年間歌って、やはり自分は歌が好きだなぁと思い、高校の進路を決める時にはもう、歌う道しか見えなくなってしまって。
音楽とは関係のない家庭環境でしたから、音楽高校に行きたいという希望を聞いた時に両親はびっくりしたと思うのですが応援してくれました。入試にはピアノが必要だということになり、地元でピアノを教えてくださる先生を探して。その先生のお薦めで洗足学園高校の音楽科に行くことに。そのまま洗足学園の大学へ、大学院へと進学しました。 
大学では声楽を専攻していましたが、オペラではなくオラトリオを勉強していたんです。宗教曲のアルト歌手になりたいと思っていました。ところが大学院の2年生、つまり最後の年になって、オペラがご専門の先生に「オペラをやるべきだよ!」とおっしゃっていただいて。モーツァルト《フィガロの結婚》からマルチェッリーナが歌う二重唱や六重唱を歌ったら、「なんて楽しいんだ!」とオペラに目覚めてしまったんです。自分が違う人になりきって演じられるのがなんともいえず魅力的でした。
 
——それまで宗教曲を勉強していたのでは、卒業してすぐにオペラ歌手にはなれないですよね。

その通りです。私の中ではオペラの炎が燃えてしまっていましたが、どうやってオペラの勉強をしたらいいのか?という問題が起こりました。私は奨学金を借りていましたし、もう大学院まで出してもらった。これ以上、学費がかかるところには行けない。それで調べたら、日本にひとつだけ、お金をいただいてオペラを勉強できる場所があったのです。それが新国立劇場オペラ研修所でした。

研修所の同期たちと

——それでオペラ研修所に狙いを定めて?

はい。でも一度目に受けた時には第一次審査で落とされてしまいます。それでもオペラ熱は消えず「修行して出直そう」と。その後、6年間ほど社会人として働いていたんです。一般企業の経理の仕事をしていました。でも働きながら「絶対、新国立劇場研修所に入る!」と思い続けていました。私、執念深いんです。新国立劇場を忘れないためにも、劇場の前を通るバスに乗って行ける職場を探して。毎日、通勤しながら新国立劇場を眺めて、「いつか待ってろ〜!」って(笑)。
 
——それはすごいですね。でもその想いがすばらしいです。

よくストーカー体質だと言われます(笑)。そして5年目に研修所を再度受けて今度は第二次選考で落ちてしまいます。でも「第一次から第二次まで進んだ!」って。そこで翌年も受けてついに合格しました。6年目にして! あの時の審査員の方々にはもう感謝というか、今でも足を向けては寝られないです(笑)。
 
——三度目の正直! 良かったですね。そして研修所で3年間学ばれたわけですね?

その3年間は本当に大切な時期でした。自分の中の基礎を作っていただいたので、本当に感謝しています。それまでは仕事をして家に帰り、その後、勉強してという日常だったのが、もう事務の仕事もせずに、一日中でも勉強をしていられる。本当にありがたかったですね。

——研修所を終えた後はイタリアへ?

はい。文化庁の新進芸術家海外派遣制度でイタリアに行き、その後イタリアで歌っていた期間を含めると住んでいたのは一年半くらいです。アドリア海側のペーザロという町に先生がいたのでそこを拠点にしていました。ペーザロはロッシーニが生まれた町として夏こそはロッシーニ・オペラ・フェスティバルで有名ですが、普段は交通が不便な小さな町で、日本人もあまりいないんです。おかげでイタリア語の習得は早かったですね(笑)。
 
——イタリアでも歌う機会はあったんですね?

いくつかのコンサートやオペラには出演しました。歌の先生がコンクールやオーディションを見つけてくださったり、劇場で知り合った方が、もう少し滞在を延ばせれば役をあげられる、と言ってくださったりしたのですが、すでに帰国後の東京二期会《蝶々夫人》スズキ役が決まっており、私は日本で歌いたい!という気持ちも強かったのでその時は帰国を選びました。その後はコロナ禍になってしまいましたが、今後も機会があればチャレンジはしたいと思ってはいます。
 
——オペラを離れた時に何か趣味はありますか。例えば映画などは?

アクション映画はよく観ます。登場人物の身体の動きがどうなっているんだろうという視点で見てしまうことが多いですけれど。洋の東西を問わず、綺麗なフォームには共通点があるんですよ。
 
——ちなみに、研修所や、オペラの稽古などでも舞台での身体の動きを学ぶ場は多くあったのでしょうか。

研修所で言われたことは「日常生活を稽古にしなさい」ということでした。舞台での動きを教わる前の私の動作にはいろいろな癖がありましたが、その自分の日常を舞台に持ち込まない。反対に日常生活の中にこそ学びはあるんです。例えば「ヒールを履いて階段を昇る時に、あなたは膝がまっすぐになっているかどうか、意識していますか?」ということなんです。そういう教えもあり、これも密かな趣味というか、街中で全然知らない人々の動きをじっくり観察してしまうことはよくあります。特にイタリアにいた時には、バールでおしゃべりしている人たちのジェスチャーを観察したりがすごく楽しかったです。
 
—— 最後に、こういうオペラ歌手になりたい、という目標、もしくは夢はありますか。
 
私がずっと思っているのはやはりお客様に「ああ、聴きにきて良かったな」と思っていただける歌手になることです。私が、というよりも作品の良さを知っていただけて、このオペラを観て良かった、と思ってもらえるような歌手になりたいとずっと思っています。オペラ歌手は、その人間の生き様が声に出る職業だと思うのです。ですから人間としても修行していきたい。何かを諦めるのも嫌ですし、人への感謝も忘れたくない。人として恥ずかしくない自分でいたい。それがきっと歌にも出ると信じています。

コンサート「コレペティトゥアの世界」(19)より
日生劇場『ヘンゼルとグレーテル』(19)より。お母さん役(左)

コロナが終わりに近づき、劇場が戻ってきた時から、藤井さんの歌手としての活動は息を吹き返した。今では第一線のオペラや演奏会、そして出身校である洗足学園大学での教えなどで大活躍を続けている。謙虚で努力家で、感謝の気持ちを忘れない彼女が、舞台でいきいきと輝いている姿は人を幸せにする力がある。

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藤井麻美(ふじい・あさみ)
洗足学園音楽大学、同大学院修了。新国立劇場オペラ研修所第15期修了。2001年フランス・ニースに短期留学。14年新国立劇場オペラ研修所プログラムにより、オランダ・アムステルダム歌劇場オペラ研修所にて研修。2017年文化庁新進芸術家海外派遣制度にてイタリア・ペーザロへ留学。イタリア国内のBesostri国際コンクール2017にて"Vincitrice del ruolo di Suzuki"を受賞。B.Franci国際コンクール2017では"Il premio di Trequanda"を受賞。帰国後、日本トスティ協会より山口佳惠子賞を受賞。これまでに『コジ・ファン・トゥッテ』『フィガロの結婚』『ナクソス島のアリアドネ』『リゴレット』『蝶々夫人』『椿姫』などのオペラに出演。イタリアではGentile劇場等、複数の歌劇場にて『蝶々夫人』スズキ役として出演。帰国後は東京二期会公演やNISSAYオペラシリーズに出演。イタリア歌曲や日本歌曲のほか、宗教曲のソリストとしても出演を重ねている。東京二期会会員。洗足学園音楽大学非常勤講師、名古屋音楽大学客員講師。

【今後の予定】
2023/12/9(土)リリア演奏会「第九」
川口リリア・メインホール
2023/12/10(日)2023かわさき市民「第九」コンサート
ミューザ川崎市民ホール
2023/12/16(土)歌で楽しむクリスマス〜バッハからラスト・クリスマス〜市川市文化会館
2023/12/17(日)第40回「所沢で第九を」演奏会
所沢文化センター「ミューズ」アークホール
2023/12/19(火)第61回横須賀学院クリスマス音楽会「メサイア」
よこすか芸術劇場大ホール
2023/12/24(日)ゴンチャロフ製菓株式会社 Presents「第九コンサート2023」
神戸国際会館こくさいホール
2024/1/14(日)東京二期会オペラ「椿姫」
とりぎん文化会館梨花ホール


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