File.26 歌を語り、歌を交歓する 小林実佐子さん(ソプラノ歌手)
ソプラノ歌手の小林実佐子さん。東京藝術大学と大学院を卒業し、平成30年には第29回奏楽堂日本歌曲コンクールで第一位となった実力を持つ。凛とした声と明瞭な言葉を持つ彼女の歌には、大好きだという芍薬の花を思わせる美しさがある。
取材・文=井内美香(音楽ライター/オペラ・キュレーター)
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(写真上)「二人のソプラノコンサート」(2018)より
—— 小林さんはどのようにして歌の道に進むことになったのですか。
私は子供の時から歌がすごく好きで、いつも歌っていたそうです。幼稚園の年長になった時に私から親に頼んでピアノを習いはじめました。小さな頃の夢はピアニストになることだったんです。生まれは北海道ですが、埼玉で育ち、10歳の時に両親とまた北海道に戻りました。転入した札幌市の小学校は合唱が盛んなところで、私は友達を作るために合唱部に入ります。そこから合唱が大好きになって。あとは、先生が声が大きいねって褒めてくれたのが嬉しくて、それで合唱にのめり込んでいったんです。ところが中学に入ったら合唱部がなかったので、歌をやりたいと思いお稽古ごとの感覚で声楽のレッスンを受けはじめます。
—— そのまま声楽家に?
それが、紆余曲折ありました。師事した声楽の先生が「ぜひ専門的に勉強しなさい」と勧めてくださったのですが、私はもともと、性格が堅実というのでしょうか、当時は世間のことも知りませんから音楽を専門でやっていると普通の生活ができないようなイメージもあって、「音楽大学へは行きません。私は普通のお母さんになりたいんです」と断り続けていたんです。ただ、先生がとても熱心に勧めてくださったのと、私も最終的には歌の魅力に負けたというか。やはり声楽のことをもっと知りたいという気持ちがあり、結果として東京藝大に進むことになりました。
—— 大学と大学院ではオペラを専門に勉強されたそうですが、今、小林さんの重要なレパートリーは日本歌曲ですね。オペラと歌曲では歌い方が違うのでしょうか。
いいえ、発声は同じに歌っています。ただ日本歌曲の方が音域が低いので、音量も音圧も少し違って聴こえるとは思いますが。オペラは今でも好きで歌いたい気持ちはあるのですが、子供が小さいので、夜のリハーサルが無理だからと自分で線引きしている部分があるんです。日本歌曲は歌う機会も多く、ピアニストとのちょっとしたニュアンスで化学反応がおこる、そういうアンサンブルの魅力にここ数年惹き込まれています。それに加えてコンサートでは、お客様との場の共有という魅力をすごく感じています。
—— 日本歌曲で重点的に取り上げているレパートリーはありますか。その中で魅力的だと思う曲があれば教えてください。
一人あげるとすれば、私が特に傾倒している猪本隆(1934-2000)という作曲家です。猪本さんは物語を語るように歌う〈語り歌曲〉という、言葉のイントネーションやリズムをそのまま音楽にする手法を実践された方で、暗いところもある独特な世界観に魅力を感じています。
彼の〈語り歌曲〉の例としては、『きつねがだまされた話』(川崎大治作詞)という曲をご紹介したいです。「むかし、むかし。ひとりの百姓じいさまがおった。」と始まる楽しい曲で、女の子に化けた狐がじいさまを騙そうとして反対に騙されてしまうお話ですが、まさに物語を聞いている感じがすると思います。
そしてもう一曲は、実は一番聴いていただきたい『ぼうさまになったからす』という曲です。松谷みよ子さんの絵本がもとになっています。戦争に関する内容で、言葉と曲を通して、戦争のむごさを間接的に感じさせる作りになっています。
—— 小林さんはYouTubeにご自分のチャンネルを持って発信をされてますね。お話しくださった猪本隆の曲に加えて、なじみのある名曲も多く歌われています。美しいお声に加え、日本語が聴き取りやすくてびっくりしました。それに語りが活き活きとしていてドラマを感じます。
私の音楽の作り方は少しオペラ的なのかもしれません。頭の中に映像と場面が写っていて、自分がどのような立ち位置なのか、一人称で喋っているのか?それとも語り部的な役割なのか?というのがあるんです。登場人物になりきって、オペラと変わらない感じで演じているのかもしれません。
—— 歌手と、声楽の講師という二つの顔をお持ちです。歌はコロナの影響を大きく受けたジャンルだと思いますが、レッスンはどのようにされていましたか。
昨年の3月以降、指導している合唱団の活動はストップせざるをえなくなりました。7月に少し練習し、そのあとは9月から状況を見つつ活動を再開しています。ご高齢の方もいらっしゃるので私としては何かあったら怖い、とは思いましたが、合唱を人生の楽しみにしていらっしゃる方も多く、健康のためにも合唱の活動が重要な部分を占めているように感じています。
合唱祭(2019)にて
—— 声楽のオンライン・レッスンもされていますね。その時々にできることを探す前向きな姿勢がさすがだと思いました。
前向きというよりは、実はその反対の性格なのかもしれません。コロナが流行しはじめた時には最悪の想定をして、歌という仕事をやめなければいけないかもしれないと覚悟しました。そうしたら逆になんだか腹が座ったというか、今できることは全部やろうと考えられたんです。オンラインのレッスンは、発音や音程などの勉強には良い面もあることが分かりました。
—— 生徒さんや合唱団の方たちには練習用の動画も作られているとか?
はい。皆のお稽古が4カ月もストップしているのなら何かしなければ、と。CDにはじまって、次は動画を作るようになりました。音取り用の音源を作るために、伴奏のピアノの先生に演奏を送ってもらって自分が歌って録音する中で、私自身が歌を歌うことで心がスーッとしていく感覚があったんです。その時に、ああ、この歌をみなさんに絶対戻すんだ、という使命感のような気持ちがわいてきました。やることがあったから、私自身も腐らないで済んだのかなという気がします。
—— 人生で大事にしていることはありますか。
そうですね。ちょっと優等生的になってしまいますが、やはり人と人との繋がりだと思います。実は私はかつて音楽を続けていくのが苦しくなっていた時期があったのですが、そのときに楽しんで合唱をしているみなさんに接することで歌がまた楽しくなり、音楽っていいなと思えた経験があるんです。そもそも最初に「歌の道へは行きません」と言っていた私の背中を押してくださった先生がいなかったら今の私はないですし、その後、喉を壊しかけたときに救ってくださった先生に、現在の私へ育てていただきました。そして夫や子供という自分の家族。娘を授かったのは私の中で本当に大きな変化でした。くだけた話をしますと、今一番大事にしているのは娘との時間です。ゆっくり遊んだり、一緒に笑ったり。私は手芸が趣味なので、娘のために服や保育園に行くカバンなどを手作りすることも。最近は娘も興味を持って一緒に作ることもあります。
手作りのポシェット(左)と手ぬぐい製の服
—— 最後に、これからの目標があれば教えてください。
私が教えている方たちは、専門家よりもアマチュアの方が大半を占めるのですが、その人たちが私のアプローチで伸びたり、変わったりした時に喜びを感じています。皆がもっと歌を楽しむため、上手になるための努力を続けていきたいです。そしてその人たちが目標としたり、この先生のこういうところが好きだから習いたいと思ってもらうためにも私は演奏しているのだな、と。そのために、これからもいい歌を歌っていけたらと願っています。
2月12日(金)には小林さんが企画するコンサートが入場無料で開催され、YouTubeでの配信も予定されている(公演・配信は終了。ダイジェスト映像はこちら)。日本歌曲の新アルバム発売のリリースも。これからも、ますます素敵な歌を歌い続けてほしい。
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小林実佐子(こばやし・みさこ)
東京藝術大学大学院修士課程(オペラ科)修了。第29回奏楽堂日本歌曲コンクール1位。併せて中田喜直賞、木下保賞受賞。第6回中田喜直記念コンクール1位大賞、および中田喜直賞受賞。第20回日本声楽コンクール3位。オペラでは『皇帝ティートの慈悲』セルヴィリア役、『仮面舞踏会』オスカル役、『ラ・ボエーム』ミミ役で出演。邦人作曲家の初演等にも多く携わる。声楽を井出祐子、永井和子、山口悠紀子、河井弘子の各氏に師事。日本演奏連盟、日伊音楽協会、座間市演奏家連盟、各会員。コール・エコー指揮。
公式サイト https://misako-kobayashi-soprano.jimdofree.com/