File.07 型破りな挑戦者が切り拓くダンスの未来 浅井信好さん(舞踏家)
2017年にコンテンポラリーダンスに特化した国内初の民間施設「ダンスハウス黄金4422」を開設した浅井信好さん。地元・名古屋から世界に向けて発信する舞踏家に、これまでの活動と今後の展望を聞いた。
取材・文=呉宮百合香(ダンス研究)
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(写真上)月灯りの移動劇場『KOKO TO SOKO』
——舞踏という表現へ向かわれたきっかけを教えてください。
ヒップホップの世界大会で優勝した日に、1位になった自分と理想像との間のズレに気づいたんです。それで他のダンスに目を向けようと、10代の頃から一緒に踊っていた辻本知彦さんの勧めで見たのが山海塾でした。舞踏の見方は分からなかったけれど主宰の天児牛大さんの佇まいに惹かれて、富山で行われる夏合宿に参加して、このグループに入りたいと確信しました。ただ山海塾ってメンバーが入れ替わるタイミングがないと入れないので、自己流で踊った映像と手紙を2年間ずっと送り続けて、1年ほど大駱駝艦でも学んで。それで一人空きが出た時に声がかかり、2005年に入団しました。
入った時から決めていたことがあります。天児さんがパリに挑んだ作品『金柑少年』を作ったのが28歳頃、だから僕も同じ歳に自分の代表作を作ってパリで勝負する、と。2011年に独立して文化庁の在外研修でバットシェバ舞踊団に行ったのも、そのための準備でした。そして2012年にソロ作品『禁断』を発表しました。
——ダンスハウス黄金4422(以下「黄金」)はどのような経緯で開設されたのでしょうか?
もともとは2016年頃から、創作のためのアトリエを中川運河周辺で探していたんですが、月10万という予算では全く見つかりませんでした。そんな折に自分を支えてくれた二人の方が立て続けに病気で倒れられて。お二人が元気になった時に見せられるよう、次に良い物件が見つかったらとにかく進めようと心を決めました。それで頑張ってエリアを広げて探したら、今の5階建のビルが見つかったんです。ただゴミ屋敷で、家賃も月40万と高かったんですけどね。当時は4ヶ月続けられる程度しかお金もなかった気がします。
最初計画したのは、自分がパリやベルリンで滞在していたスクワットのようなアーティストのプラットフォームだったんですが、日本ではそのイメージ自体が伝わらなくて、「事業計画全然だめじゃん」とビルで一人途方に暮れました。でもやっぱり自分にできることはダンスしかないから、レジデンスで回りながら作品制作してきた経験を活かしてダンスハウスを作ろうと決めて。半年くらいかけて、建物をセルフリノベーションしました。
——アーティスト自身が「場」を持って運営していくことの大変な点と良い点をお聞かせください。
大変なことは調達資金です。黄金の事業費の1/3は事業収入で、1/3は助成金、残りは僕がダンサーとして稼いだお金を投じています。運営費については、助成金も出ないです。
やめることはいくらでもできたはずで、周りからもやめた方がいいと言われました。ただやっぱり場所があることで、人が集まって繋がると思うんですよ。ヨーロッパで一人戦い、カンパニーのディレクターとファウンダーという役目も担ってきた僕にとって、今ほど仲間というものを感じられる環境はなかった。悩むことも時々ありますけれど、喧嘩しながらもやっていけるこの人たちがいるなら、ここにいたいなって思います。
——ご自身のカンパニー「月灯りの移動劇場」の新作公演に中高生を起用するなど、後進の育成にも力を注がれていますね。
教えるのが下手で、できればやりたくないと思っていたほどなんですが、一人だけ弟子がいて。その子を教えていく中で、真っ白な状態で学び吸収する時の純度の高さと、変化する瞬間の輝きを目の当たりにして、だんだん興味を持ち出したんですよね。だから月灯りの移動劇場はまず、中高生育成にしました。
中高生や大学生くらいから良いものに当たり前に触れられる環境を作っておけば、価値観や考え方、吸収の仕方が変わると思うんです。黄金は公共ではないけれど、意識を育て未来のリーダーを育成することはできる。そして育成の先に、文化の広がりや成長があると考えています。
ダンスハウス黄金4422のクラス風景
——コロナ禍の中、オンラインコンテンツの企画制作・配信を非常に活発になさっていることも印象的です。
パリでの公演中にロックダウンになって、後に予定していた海外ツアーも全てキャンセルになりました。黄金は、今年は完全にインターナショナルプログラムで助成金を取っていたんですが、それも軒並み白紙になって。経済的にも夏まで耐えられるかどうかという感じだったので、制作スタッフに話をして、もう黄金を潰そうと。
最後にやりたいことは、仕事がなくなっているアーティストに日雇いのような形でもいいから稼いでもらうことだった。黄金はダンサーズネットワーク、つまりダンサー同士の横のつながりによって形成されてきたので、ダンサーに恩返しをしてから終わろうと。潰す覚悟で、とにかくオンラインで色々なことをやろうと思ったんです。
アーティストのライフワークとか思想とか、価値になるものって実は作品以外にもたくさんあるんですよね。それをどんどんコンテンツにしていこうと、月40個くらい企画を考えてオファーしていきました。黄金の企画をきっかけに自分でもオンライン企画を始めた人もいて、活動の後押しもできたなと感じています。
今やっている「PEEPSHOW」も、オンライン配信ならではの企画です。お客さんを入れない滞在制作なら今もできる。ならばアーティストに黄金に滞在してもらいながら対話をして、そのプロセスと魅力を、長時間でも見たくなるカット編集とビジュアルを入れてしっかり配信しようという意図から始めました。僕は創作風景が大好きなんです。
こうしたことをすごい勢いでやったことで、色々なところからサポートいただけて、コロナになってから逆に忙しくなりました。
——配信の導入によって観客層の変化はありましたか?
3カ月で1000人以上の方が利用され、観客層は格段に広がりました。7割は関東ですが、それ以外は均等に色々な地方からです。地方の方に優秀な振付家を紹介できるのは僕にとって嬉しいことなんです。国内で有名じゃないと呼んでも赤字になるという理由で今までできなかったことが、オンラインではどんどん実験できて、地域を超えて紹介できて。こうして良いものを広められるのはオンラインの長所です。
——オンラインとライブをそれぞれどのように位置付けていらっしゃいますか?
当初から映画監督と一緒に組んで、映像にしかできないアングルや配信を心がけてきました。アーティストの普段見えないところにフォーカスするなど、映像の可能性をとにかく掘り下げてみようと。
最終的には劇場に行ってほしいんですよ。ただライブの価値を知ってもらうための道を作る手段としては、オンラインはずば抜けています。アーティストの素晴らしさを生で見て知ってほしいからこそ、「PEEPSHOW」等の配信でその人のライフワークや創作プロセスを丁寧に説明していこうと思っています。
——今後の活動予定を教えてください。
幼少期からアートに触れられる場を作る準備をしています。また名古屋芸術大学に新設される舞台芸術領域の教員にも着任予定です。これでちょうど幼児、中高生、大学生、プロを目指す若手アーティストと、自分が目指している育成の一つの流れができあがるので、来年は頑張る必要があります。半年後すら見通せない今の時期は、とにかく人材育成の部分を強化しようと考えています。
並外れた熱意と行動力、そして大きなリスクを負う覚悟で、人が集う場を作ってきた浅井さん。その言葉には、舞台芸術という文化を未来へつなげ広げることへの強い思いが滲んでいた。
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浅井信好(あさい・のぶよし)
ストリートダンサーとして国内外のコンテストで優勝後、2005年から11年まで山海塾に所属。その後、16年までドイツ、イスラエル、フランスを拠点にフリーランスとして活動、ダミアン・ジャレ+名和晃平『VESSEL』などに参加した。また東信、山本基、中村達也、渋谷慶一郎らとのコラボレーション作品も発表。現在は名古屋を拠点に「月灯りの移動劇場」と「ダンスハウス黄金4422」の代表を務める。
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