File.23 知恵と技術で、沖縄の「音」をより豊かにする 喜久川ひとしさん(音楽家)
沖縄メロディーと創作太鼓「でいご娘」「ひがけい子♪ シュビーズ」のキーボードを担当しながら、作詞、作曲、編曲、CM曲を作るなど、沖縄らしい音作りと音楽サポートに励む喜久川ひとしさん。コロナ禍でホテルや店舗のステージが激減、「音」だけで生計を立てていくのが難しくなるなか、昨年11月、自分自身も罹患した。苦しみが押し寄せても、這い上がろう! コロナに負けるものか! ならば感染経験を生かして、社会にどう貢献できるのか、次なるステージに向けて着々と準備中だ。
取材・文=相羽としえ(フリーアナウンサー/ライター)
——何より社会復帰おめでとうございます。
ありがとうございます。まさか自分がですね。退院して再検査をうけ、社会復帰OKがでてから、考え方もいろいろ変わりました。
——それについては後ほど詳しくうかがうこととして、まずは多彩な「音」の仕事内容を教えてください。
作詞作曲をして自分たちで歌うのはもちろん、ステージなど、歌い手に合わせた音の調整などをするサウンドコーディネートをしています。「わしたウチナーけんさんぴん」や名護市にある沖縄そばの「うふやー」など、CMソングを作ったり、若手への楽曲提供をしています。2021年の1月、2月には、若手民謡歌手・又吉ゆいさんに提供した『野花』という唄がJTAの機内放送で流れています。また、日本シンセサイザープロフェッショナルアーツ(JSPA)の正会員として、シンセサイザーの「音」や、歌謡民謡や童謡なども作っています。
ひがけい子♪シュビーズ
——「音」に関するあらゆる仕事ですね。そもそも音楽との出会いは?
女系家族の中で初孫の男子だったので、教師だった祖母に音楽だけでなく、さまざまな教育をうけてましたね。4歳からピアノを習い始めて、音大中退の父の指導でギターを小学3年から教わって。祖母、母のススメで多種多様な本を読みました。川端康成とか文学小説をね。沖縄方言の家でしたが、丁寧な日本語を覚えたのはそこ。そこで、言葉の響き、ニュアンスに興味を持って。中学から友人とロックバンドを始めて、当時流行のYMOやTMネットワークの影響でデジタルミュージック、シンセサイザーに目覚めました。
——琉球音楽はいつから?
大学卒業からです。大学時代は法曹界に入るつもりでした。大学の教授には自分に合うことをすればいい、人間と自然は多面体、音楽もそうと背中を押されて。卒業して、人づてにひがけい子さんに出会って。そこから彼女の師匠の普久原恒勇先生の曲をよく聴いて沖縄の音楽を研究するようになりました。これがきっかけで沖縄音楽にのめり込んだ感じです。そして、1998年に浦添市に音楽スタジオ「HIT」を作りました。12年続けましたが、体調を崩したときにやむなく閉めて。今でもスタジオを使っていた人たちに「ヒットに僕の青春があった」って言われたりして、凄く嬉しいし、音楽の素晴らしさを伝えることができたかな、やって良かったなと思っています。
——そのほかに影響を受けたものはありますか。
30歳でこれまた人づてにJSPAの正会員に入れたことですね。それまで沖縄の音楽にこだわっていましたが、本土の音楽に触れて層の厚さに驚きました。ここで自己研鑽(けんさん)できましたね。JSPA顧問の松武秀樹氏、理事長の氏家克典氏、ギタリストの村松邦男氏らと親交を深め、トップクオリティーの音楽アドバイスを沢山受けることができた。本土の技術を沖縄に持ち帰ることができ、自分の引き出しが一気に増えて、CMを作る時に非常に生かせるようになった。外に目を向け、地元に還元することはすごく大事だと。
——コロナの影響で日常がどのように変化しましたか。
私たちの演奏が楽しめる、国際通りの店舗「あんがま」「波照間」や、ホテル「かりゆしリゾートオーシャンスパ」など、出演させていただいているステージは少なくなり、経済的にはかなり打撃です。でも、時間があるぶん、友人ミュージシャンたちは知恵を絞り練習し、副業したりと頑張っていて、それをみると自分も頑張ろうと励みになります。
——2021年目指すところは?
まだまだ大変なご時世なので、新しい音楽配信サービスで配信するのは手段ではあるけど、それだけではなく、練習を重ね技術をアップさせることが大事かと。YMMAHAが提供している演奏空間「シンクルーム」という、音の遅れによるストレスを減らしたソフトなどのサービスを使う。これで遠く離れている人たちと気軽にセッションできて、楽しく練習できる。上手くなろうという意思を持って。言葉の隔たりをなくす努力も必要ですね。だって、外国人ともセッションできるから。そうするともっと音楽の世界が活性化するので、どんどん進めていきたいです。
——Withコロナ、Afterコロナで今後自分はどのようにありたいですか。
具体的には2月下旬に、ひがけい子さんと一緒にインターネットでオンラインステージを計画中です。琉球舞踊+シンセサイザー+照明を融合させたステージ。舞台芸術も地域性を鑑みながら、世界に発信できるステージにしていこうと。舞台芸術のあり方も形を変えて対応していかないといけませんよね。ハートFMなんじょうでは、昔の音源を中心にお届けしています。昔の民謡は、当時リハーサルなしでこれだけ歌えるって凄いと思って。その力強さを伝えたいし、みんなを元気づけたい。昔の音は新たな発見があって、勉強になるし楽しいです。
ハートFMなんじょうでパーソナリティーを務める
——自分自身罹患して何が変わりましたか。
11月初めにコロナに罹患して。入院して心も体も大変な思いをした。今後、誰しもが家に籠るような生活が続くことを考えると、今までとは違ったストレスがたまると思うので、そこに自分の得意とするシンセサイザーと沖縄音楽で癒やしを提供できないかなと「音楽療法資格」の勉強を始めました。知ったかぶりの方法ではなく、客観的に勉強を経てからという気持ちで。それと同時に、ヒーリングミュージック動画の制作をしてYouTubeでアップしています。コロナで嘆くのではなく、コロナだからこそ新しい何かが見つかると思います。ミュージシャンは夢を与える仕事。何より自分が健康で幸せであることが大事。そして発想力が豊かになるよういろいろチャレンジですね。自分の心が豊かでないと音楽を聴く相手に幸せを伝えられないですから。
生まれた時から「音」に溢れ、沢山の人たちに巡り会えたことで「音」の世界がより広がった。自分自身が罹患したことで、今だからこそできることを探っていけた。生きる喜び、命の大切さをこれからもっと伝えていきたい。喜久川ひとしは音を愛し沖縄を愛し続けていく。
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喜久川ひとし(きくかわ・ひとし)
1993年より琉球民謡グループでいご娘、琉球民謡歌手ひがけい子、琉球ポップスグループシュビーズ、のキーボーディスト・作詞作曲編曲・演奏サポートを担当しています。日本シンセサイザープロフェッショナルアーツJSPA正会員・JASRAC準会員として、沖縄音楽、沖縄映画音楽、テレビ・ラジオ用CMの音楽制作も行う。ハートFMなんじょう「わしたウチナーけんさんぴん」(毎週金曜日12:00〜12:30)パーソナリティー。
公式サイト https://deigo.org