File.28 あらたな表現のためにこそ。振り返る「時代」「経験」「伝統」 鈴木ユキオさん(ダンサー/振付家)
舞踏からキャリアをスタートし、独自の表現を開拓してきた鈴木ユキオさんの活動は柔軟で軽やかである。繊細かつパワフルな研ぎ澄まされた作品を創作する一方で、年齢や分野を問わずさまざまなアーティストと協働し、子供や障がい者、一般市民向けの活動にも力を注ぐ。今を自身の転機と見る彼に、その想いを聞いた。
取材・文=呉宮百合香(ダンス研究)
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(写真上)『日本国憲法を上演する』(d-倉庫「ダンスがみたい!22」2020年8月) Photo: Hiroyasu Daido
——コロナ禍を通じて、考え方や価値観に変化はありましたか。
これまで走り続けてきましたが、これからは色々なことにもっと時間をかけて取り組んでいきたいと考えるようになりました。今48歳で、年齢的にもちょうど変わり目。今までのペースでは、身体がちょっときつくなってきていた部分もあったのだと思います。年齢や経験に応じて責任が伴うようになり、ひとつあたりの比重が大きくなっているのに、数は若い頃のままで引っ張ってきていた面があって。自分に合うペースをもう一度掴んで、じっくり創作に向き合いたいです。
それから、横のつながりを活かして中堅やベテランの良い作品を見せる機会を作っていきたいと思っています。若手のうちは、賞やショーケースといったチャンスがいっぱいあるのですが、中堅になると「自分でできるだろう」と思われるようになります。でも実際日本において活動を続けていくことはとても大変で、再演の機会もなかなかなく、皆苦労しています。またショーケースとなると、20分程度にしてほしいと言われることが多いのですが、長い作品を短くすることは意外に難しい。例えば1作品あたり1時間で数日間のプログラムを組むなど、じっくり時間を見せるような作品でも脚光を浴びられるような新たな場を作れればと思います。
——ソロでの活動と並行して2000年から始められたカンパニー活動(鈴木ユキオプロジェクト)は、鈴木さんの中でどのような位置づけですか。
ダンスを昔から習ってきたわけではなく、クセの塊をブラッシュアップして踊ってきた僕のやりたい身体を他者に伝えるのは難しくて苦労していますが、ダンスを習ってきた人の言葉とすり合わせながら「こう言えばこう動けるんだ」と掴んでいくことで、逆に自分の動きも理解できるようになっていきました。それは、一人であればずっと感覚頼りでやっていたであろう部分も含め、動きを法則化・振付化することでもあります。
質感を出し、動きに必然性を持たせるために、振付では言葉を重ねます。そしてダンサーによって個性も違うので、完全に一対一で向き合います。僕の指示に対して全然違う発想で動いたり、間違えたり、外れたりした部分をうまく取り入れ、ダンサーとの共同作業にしていくことで、自分の想像を超えて「僕が踊るより良いな」と思えるくらいまでいける。その楽しさを求めて振付をしている面があります。
『人生を紡ぐように 時の流れを刻むように』(2020年3月) Photo: bozzo
世田谷美術館「作品のない展示室」クロージングプロジェクト『明日の美術館をひらくために』(2020年8月)Photo: Teppei Hori
——学校での指導やワークショップにも精力的に取り組まれていますね。
僕は舞踏出身なので、音楽やリズムに乗って踊るよりも、自分の感覚で動いてみるという発想がベースにあります。そして車椅子でも自閉症でも、その人のそのままの身体をどう見せるか、個性をどうやって引き出せるかという点に興味があります。特別支援学級でのワークショップも、全く綺麗事ではなく、学級崩壊みたいになってしまうこともあるのですが、かなりの割合ですごく良いダンスや素敵な瞬間に立ち会えるのです。
若い頃は「自分の踊り」に重きがありました。でも今は、パフォーマンスでお客さんに喜んでもらうだけでなく、自分が動くことで周りが巻き込まれ、良かったなと喜んでもらえる状態になることに、充実感や満足感を覚えるようになりました。言葉で言うとなんか大袈裟になってしまいますけれど。
——舞踏に対しては、今どのような想いを抱いていらっしゃいますか。
前の時代のものの中に留まるのではなく、それを消化/昇華して自分なりの踊りや作品を作っていかなくてはと思い、批判も受けながら何年もかけて舞踏から離れることを試みました。でもだからといって、舞踏が自分の中からなくなるわけではなく、むしろより深いところで意識するようになった感じがあります。立ち返ることができる場所と言いましょうか。向き合うたびに成長に応じた発見があるのです。
2021年は、日本の伝統的なものをリサーチしようと考えています。神楽などに加え、日本で生まれた舞踏も一つの伝統として捉えてみようかなと。過去を勉強することが次に進むきっかけを与えてくれる可能性をすごく感じています。だから、伝統的なものを習ってそのまま取り入れるということではなく、それを活かしながら自分の踊りとして追求していきたいです。舞踏自体も、[創始者の]土方巽さんを知っている舞踏家は今やどんどん減ってきているので、色々と調べられるうちに調べ、聞けるうちに聞いておこうかなと思います。例えば大駱駝艦のように形やスタイルをきちんと継承していくことも、覚悟がいることでとても大切です。ただ僕はそれとは違うやり方で挑戦したいと考えています。
——2012年にはパリ市立劇場で行われたコンクール「Danse Élargie」のファイナリストに選出されました。実際に参加されてみていかがでしたか。
「あなたは何がしたいの?」からスタートする海外は、禁止事項だらけの日本の劇場とはかなり違いました。パリでは、日本から来て大変なのだからと劇場のディレクターが宿泊場所や稽古場を探してくれて驚きました。スタッフも一緒に楽しんでやってくれて、「劇場が壊れたら直せば良いよ」みたいな感じで(笑)
そして、人種が混ざっている場所は発想自体も圧倒的に自由です。犬20匹をただ散歩させるだけのパフォーマンスとかあって、よく分からないけれどなんか楽しい。そういうことがやれてしまうのです。照明や美術も、もっと遊んで良いんだということにも気づかされました。海外のフェスティバルや審査に行くと、タイプの違うものがたくさんあり、アートの真の自由さを感じられるので、刺激的でとても嬉しくなります。
日本に招聘される作品は大型のものが多く、実験的な作品はあまり見られません。それがすごくもったいない気がします。巨額のお金をかけないとできないものや超一流ダンサーを見るだけでは、僕たちの状況からかけ離れすぎていてちょっと無理があるんです。むしろ先ほど話したような、実験的なものや挑戦の過程にある作品を見ることによって、国境を超えてアーティスト同士、創作や思考を刺激しあっていけるのではないかと感じています。
——未来の人材に期待することは?
とにかくチャンスがあれば、見に行くだけでも良いので海外に出て、自分の見聞を広めていくことは大切だと思います。その一方で、海外に拠点を移すと今度は日本で発表の機会を作ることが難しくなるという問題は、改善していかないといけないですね。
そしてゆくゆくは、学校のダンス教育にも携わっていってほしいです。現役で面白いことをやっている人たちが、10〜20代の若者に刺激を与えられる場所にどんどん入っていけると、未来が変わってくる気がします。
——これから取り組みたいことを教えてください。
伝統を見つめ直すことで、これまでとは異なる作風や振付方法みたいなものを見つけられそうな予感がしています。2、3年かけて、自分の表現をもう一歩深めたいです。
また同時に、社会に還元していく責任が伴う時期にもなってきているので、室伏鴻さんをはじめ、自分が色々な人から教わってきたことを次の世代へパスしていく作業もしていきたいと思っています。
ダンスシーン全体の発展を見据え、今後はさらに能動的に働きかけていきたいと語る穏やかな口ぶりの中には、静かな闘志が漲っていた。
鈴木さんが出演する映像作品『三陸DANCE借景』は、2021年2月にYouTubeで公開予定。
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鈴木ユキオ(すずき・ゆきお)
振付家・ダンサー。2000年より自身の創作活動を開始。現在は「YUKIO SUZUKI projects」として幅広く活動を展開し、国内外のフェスティバルに参加。MV出演、モデル活動も行う。また、身体を丁寧に意識するワークショップを各地で開催。トヨタコレオグラフィーアワードでは、2004年にオーディエンス賞、2008年に次代を担う振付家賞を受賞。2012年フランス・パリ市立劇場「Danse Elargie」ファイナリスト。
公式サイト http://orange.zero.jp/bulldog-extract.boat/
Photo:Teppei Hori