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File.20 しゃべって、伝えて、生きざまを見せる 神田紅佳さん(講談師)

張りのある明るい声に、テンポのいい語り口。高座の神田紅佳さんがひとたび口を開けば、耳がぐいぐいと引っ張られていく。
今は、粋な着物に身を包んだ講談師だが、社会人のスタートはアナウンサーだった。12年間、韓国に暮らした経験もあるという。
はて、さて、どんな道のりで、講談にたどりついたのか。半日がっちりくっついて、話をきいてきた。
取材・文=田村民子(伝統芸能の道具ラボ主宰)

——まず、講談とはどんな芸能なのか教えてください。

講談は、講釈台(こうしゃくだい)とい呼ばれる小さな机の前に座って語る伝統芸能で、講釈(こうしゃく)とも言われます。軍記物や政談など、主に歴史にちなんだ「読み物」を聞かせることから、講談は「読む」芸とされているんですよ。
右手(利き手)に張り扇(はりおうぎ)、左手にお扇子を持ち、それらを講釈台の上で叩いて拍子を取りながら、読んでいきます。

——落語と似ているところもあるように思いますが、どんなところが違うのでしょうか。

落語はホームドラマ、講談は情報番組というか再現ドラマみたいな感じだと思ってもらうとわかりやすいかもしれません。講談は、本当にあった歴史的な事実を脚色して、物語が作られています。私は、オリジナルの講談も作っているのですが、たとえば、江戸後期の旗本に長谷川平蔵という人がいますよね。池波正太郎さんの『鬼平犯科帳』のあの人です。平蔵は実在の人物だったのですが、その長谷川平蔵の逸話を元に『実録 長谷川平蔵』という講談にしたのが、今日の高座でご覧いただいたものです。

——紅佳さんの『長谷川平蔵』、とてもおもしろかったです。話を聞いていくうちに、目の前に羽織や袴をつけて馬にまがたる長谷川平蔵が現れてくるようでした。それに、講談は、道徳的というか、聴いているといろんな知識や、ウンチクがたくさん身につく感じもしますね。

講談は、人をいい方向に導き、生きるヒントを与えてくれるという側面もあるんですよ。
講談師は、落語と同じように前座、二つ目、真打という階級がありますが、真打になると「先生」という敬称で呼ばれます。落語だと、真打は「師匠」。こうした呼び方にも、講談という芸能の雰囲気が出ていると思います。

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——ところで、紅佳さんは、もともとは、アナウンサーをされていたんですよね。

はい、そうです。小さいころから、しゃべることや人と会うことが得意でしたし、「知りたがり」だったのでニュースが大好きでした。それで、「仕事として、しゃべりたい」という気持ちから、アナウンサーを志望しました。
私は、「仕事」というものは、お金を得るための手段ではなく、「生きざまそのもの」にしたいという気持ちが強くありました。だから、どうせなら好きなことを仕事にしようと思ったんです。ところが、アナウンサーになってみると自分が思っているよりも仕事の範囲が狭いなと感じたんです。やりたいことが、思うようにできない……という気持ちの違和感が大きくなり、3年経ったところで、アナウンサーを辞めました。

——思い切りがいいですね。なんだかもったいないような……。

その後は、地元である福岡に戻りFMなどで、しゃべる仕事をしていたのですが、ジャーナリストとしてやっていくには、何か自分に専門分野を持つことが必要だろうと感じるようになりました。それで一念発起して、韓国のソウルに単身で移住しました。

——それは大きな転機ですね。なにか、韓国につながりはあったのでしょうか。

いえいえ、まったく(笑)。韓国語もまったくしゃべれない状態でしたが、えいや!っと、飛び込みました。そこからはもう必死で、まさに髪を振り乱して、たくさんの仕事をしました。社会情報から韓流エンタメ情報の取材もしましたし、イベントの司会、メディアのコーディネート……数え切れないくらいの仕事をしました。
幸い、関わる人がみんないい人ばかりで、仕事も順調でした。ひとりでは、さばききれないくらいになったので、ソウルにプロダクションも立ち上げました。それでふと気付くと、12年も韓国に住んでいたんです。

——まさに、ご自身で道を切り開かれていますね。そこから、どうして講談の道に入られたのでしょうか。

韓国での仕事も充実していたのですが、やりたいことを思う存分やってみて、改めて「読む」ことに気持ちが向くようになっていきました。そして「伝統」に裏打ちされた「読み」がやりたい! そう強く感じるようになりました。死ぬまで情熱を燃やしてやっていけるものはなにか、と考えた末にたどりついたのが、講談でした。
くねくね道のように見えるかもしれませんが、私のなかでは「しゃべること」と「伝える」こと、この2つはブレることはなく、ずっと軸としてありました。

——びっくりする展開ですが、たしかに、一貫していますね。ところで、講談師としてふだんは、どのようなところで活動をしているのでしょうか。

私は日本講談協会に所属しておりまして、協会主催の公演など講談の定席や、寄席を中心に活動をしています。具体的な場所でいうと、上野広小路亭、日本橋亭、新宿亭、国立演芸場、池袋演芸場、末広亭。あとは墨亭や連雀亭などの二ッ目が研鑽の場としている小さな町の寄席などです。

そのほか、子どものための講談教室を開催したり、演劇を学ぶ大学生を対象にした発声練習や、講談の基本レッスンなども行ったりしています。それから、私自身が企画する独演会も年に2回ほど開催しています(東京と、郷里の福岡)。

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——講談も、コロナの影響を受けていると思いますが、今は、どのような気持ちで、高座に出られていますか。

コロナの感染拡大によって、社会のだれもが先行き不安な状態にあります。生活不安の中でパニックになり、職を失い自分自身を失ってしまったような絶望の中に苦しむ方もいらっしゃるのだと思います。そういうときだからこそ、私たちのような「自分で、仕事を選んで、フリーランスとして生きている者」が笑っていなくてはいけないんじゃないかと思うんです。

私たちのようなフリーランスという生き方をしている人は、安定なんてわき目も振らず、「仕事は生きざま」と自分の好きをただひたすら追い続けています。余計なことは考えず、自分を信じて歩いていけば、人間なんとか生きている。結構、人ってたくましいものなんです。私自身が、そんな人生のモデルになれればと思いますし、高座の姿を通して、みなさんに元気を届けたいと思っています。

——紅佳さんの話をうかがっていたら、いろんなことにチャレンジしてみたくなります。これから、どんなことをしていきたいですか。

まずは、芸を精進して真打昇進をめざします。そのためにも、たくさん語る機会をつくりたいです。語らせていただく場所があれば、どこにでも飛んでいきます!
それから、韓国に長く暮らした経験もありますので、アジア各国の「語り芸」の演者とも共演がしてみたいです。いつかきっと、この夢も実現させます。

2020年の年末。上野で開かれた講談の公演で、紅佳さんの講談を聞いた後、一緒に歩き、お茶を飲みながら、話を聞かせてもらった。紅佳さんの人生は、エネルギッシュで、冒険物語のよう。自分の心の小さな違和感を、そのままにせず、違うと思ったら、スパッと切り替える。「人生はトライ&エラー」と言い切る姿は、とてもすがすがしかった。

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神田紅佳(かんだ・べにか)
日本講談協会所属の講談師。2013年5月神田紅の元に入門。2017年10月二ッ目昇進。上野広小路亭、日本橋亭、新宿亭、国立演芸場、イイノホールなどに出演。講談の定席をはじめ、寄席を中心に高座で活動、年2回の独演会も行う。また、地域の子供のための講談教室(台東区)、演劇を学ぶ学生を対象にした発声練習、講談の基本レッスン、高齢者を対象とした図書館での講談イベント(墨田区)なども開催。YouTubeチャンネル「痛快☆ベニカメラ」を開設、講談の周辺情報も伝えている。2021年2月には、郷里の福岡での独演会を控えている。

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