File.18 誰にも従属しない俳優たちが息づく場所 井上裕朗さん(俳優)
「PLAY/GROUND Creation」というユニットを主宰する舞台俳優、井上裕朗さん。2020年9月25日~10月1日に、初めての主催公演、初めての本格演出でハロルド・ピンターの『背信』を上演した。編集者のジェリーは、親友ロバートの妻エマと7年にわたり不倫関係にあり、ロバートとも親密さを匂わせるという三竦みの物語。井上さんが掲げた「近づきたい、触れ合いたい、関わり合いたい」という演出のコンセプトは、コロナ禍だからこそ、観客の心に改めて染み入るものを残した。
取材・文=今井浩一(ライター/編集者/Nagano Art +)
——井上さんは『背信』を世界で一番読んでいる、そのくらいの自負があるんじゃないですか。
そんな大それたことは思ってません! 『背信』とは10数年前にtpt(シアタープロジェクト東京)のワークショップで出会いました。2015年からPLAY/GROUNDの活動を始めたのですが、1週間の俳優ワークショップの題材として7、8回は扱ってきました。そのたびに発見があって、翻訳も修正しています。ほとんどが二人のシーンで、一つひとつのシーンもトータルの尺も短いのも都合が良くて。ワークショップではすべてのシーンを違う俳優の組み合わせで演じるのですが、単純ではないけれど複雑すぎない、解釈する喜び、読み解いていく面白さにあふれている戯曲なので参加俳優の満足度も高いんです。
——作品の魅力は、どんなところに感じていらっしゃいますか。
僕はもともとサラリーマンで、30歳から俳優を始めたんです。20代半ばにつかこうへいさんの『熱海殺人事件』を見たときに、登場人物たちが命がけで他人と関わろうとする姿がかっこよく、うらやましかった。実は『背信』での子供や家庭を裏切ってでも相手と近づきたい、触れ合いたいという思いをあきらめずに進むジェリー、ロバート、エマに『熱海殺人事件』と近いものを感じたんですよ。不倫や裏切りの物語ですけど(笑)、そのエネルギーこそがこの戯曲を好きな理由だと思っています。
——井上さんは大手証券会社に勤めていらっしゃったんですよね。なぜ俳優を目指したんですか。
大学時代につか作品を観て演劇を好きになったんですけど、俳優になろうとまでは思いませんでした。僕が働いていた証券業界って、お金や成功に執着がないと勝ち上がれないんですよ。当時の仲間は常日ごろから「俺たちは大リーガーだ」と言ってました。政治闘争も含めて努力をし続けないと這い上がれないのに、僕にはそのための気力やモチベーションが全く見当たらなくて早々に辞めました。そして再就職を考えた時に、北区つかこうへい劇団のオーディションがあって記念受験のつもりで行ったら受かってしまった。噂ではつかさん、僕のことを劇団の経理にしようとしてたらしいです。
——井上さんが主宰するPLAY/GROUND Creationは俳優だけが集まってワークショップを行っているんですよね? 名前からすると“俳優の遊び場”というイメージも湧きます。
そうですね。PLAY/GROUNDを始めた2015年は俳優の仕事が全然なく、何かやらないとモチベーションが保てない状態で、1回だけのつもりで場を設けたんです。もちろん僕が教えようとか、演出しようとかいう気持ちはなく、むしろ俳優が俳優に教えるというワークショップには懐疑的でした。でもそれくらい切迫してた(笑)。集まった人たちと『背信』を題材に1週間でつくりました。それが僕自身も、俳優さんたちもすごく楽しくて、だったら続けてみようと思い、半年で10回くらいやりました。このユニットに参加するのは俳優だけで、みんなが同じ立場、という理想を掲げているので、僕の持ち物にはしたくないという思いがあるんです。始めた背景としては、役者がさまざまな立場、団体や作品に従属せざるを得ない状況を食い止めたかったからでした。一度だけワークショップ公演もやったんですけど、予想に反して、何人かの演出家から応援されたり、どういうふうにやっているのか聞かれたりと、不思議な思いになったのを覚えています。
——PLAY/GROUNDの初の主催公演として『背信』を上演しました。井上さんは演出として、役というよりは俳優さん個としての感情をベースにして芝居をつくっている気がしました。だからこそすごく生々しいものになっていた。
『背信』の戯曲に書かれているのは3人の登場人物が何をしたかだけで、何を考えていたかは全く書かれていません。僕は俳優が自身の経験、心、プライドなどをフル活用して登場人物の行動をたどり、どんな生き方をしたのかを探ることこそが演技だと考えています。稽古では俳優さん自身が知らない自分や人に見せたくない部分を探すための、かなりきついエクササイズをたくさんやりました。そして楽日まで、自分自身として役の行動をたどってくれと徹底して伝えたんです。この公演は2チームによる上演でしたが、戯曲の解釈は同じなのに、それぞれが違うものを見つけたんだと思います。
『背信』side-A 左から小野健太郎、壮一帆、池田努
『背信』side-B 左から青柳尊哉、中丸シオン、鍛治本大樹
——PLAY/GROUNDでは井上さんは演出をされていくということですか。
俳優にどれだけ大変なことを課しているのか全部わかって全部引き受けてくれる、僕はそういう演出家のもとで俳優をやりたいんです。『背信』を客席から見ていて、自分が出たいという思いは捨てられませんでした。ただ、演じたいという気持ちを押さえてでも、自分で企画したり演出したり制作したりする喜びは大きいのかなと。僕は演出を学んでいるわけではないですし、演出家として作品をどう解釈してどんなメッセージを伝えるかということを真ん中に置いて戦うつもりは全くありません。そんな僕に強みがあるとすれば俳優であることしかないので、これからも俳優でいたいし、俳優として演出しているということを言い続けていきたいと思います。
——PLAY/GROUNDの目指す方向は?
経済的な課題は付きまといますが、なんとか1年に1〜2本のペースで、コンスタントに公演を続けていきたいと思っています。
俳優は自分ではない人間を演じるわけですし、自分でやっていることは見えないから演出家やお客さんに委ねる要素がすごく大きい。だから俳優はいろんなものに従属することになってしまう。それをまた俳優がどこかで受け入れてしまっているのが大きな問題で、俳優自身がそれを意識することが作品の質にも関わってくる。特に海外戯曲は、かなり自立した人間たちの物語ばかりですから、従属するのに慣れきっている俳優には演じきれないように思います。だからこそ、俳優が自立するきっかけになればと思い、ここまでPLAY/GROUNDを続けてきました。俳優だけでこれだけの作品がつくれるんだという誇りみたいなものがどこかにあるんだと思います。PLAY/GROUNDではとにかく、ずっと実験的なことを続けられたら、そしてPLAY/GROUNDの思想や理想がアメーバーのようにぐにゃぐにゃと広がっていけばいいなと思っています。
井上さんは演出をするようになって、俳優としての自分を客観視できるようになったと言う。井上さんはこの『背信』のスタッフとして、役者でありながら普段から演出助手、舞台美術、音楽、宣伝デザイン、カメラマンとしても活動しているメンバーを集めた。つまり二刀流、二足のわらじを履く役者ばかりで、しかも若い。「関わってくれたメンバーの仕事に何か転機になるような場になれば」という井上さんの言葉には、井上さん自身の経験からの示唆があるように思う。彼らは『背信』に関わったことで、新たに役者の魅力を知り、演じたいという欲求を高めたに違いない。
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井上裕朗(いのうえ・ひろお)
東京大学経済学部経営学科卒業。外資系証券会社勤務を経て、2002年北区つかこうへい劇団養成所(10期生)にて演劇活動開始。以降、古典、新作、国内外問わず、さまざまな作品に出演。2015年より俳優主体の創作ユニットPLAY/GROUND Creationを自ら主宰。演出家としての活動もスタートした。
公式サイト https://www.playground-creation.com/
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